飯田明弘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/25 09:49 UTC 版)
| 飯田明弘 | |
|---|---|
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 愛知県 |
| 生年月日 | 1946年12月9日 |
| 死没 | 2017年9月15日(70歳没) |
| 騎手情報 | |
| 所属団体 | JRA |
| 所属厩舎 | 中京→栗東・小林稔(1969 - 1982) 栗東・フリー(1982 - 引退) |
| 初免許年 | 1969年 |
| 免許区分 | 平地 |
| 騎手引退日 | 1988年 |
| 重賞勝利 | 25勝 |
| 通算勝利 | 5305戦632勝 |
| 調教師情報 | |
| 初免許年 | 1988年(1989年開業) |
| 調教師引退日 | 2014年 |
| 経歴 | |
| 所属 | 栗東T.C.(1988年 - 2014年) |
飯田 明弘(いいだ あきひろ、1946年12月9日 - 2017年9月15日[1])は、愛知県出身の元騎手・元調教師。
東邦高等学校卒。
息子は元騎手・現調教師の飯田祐史。
来歴
1965年に中京・小林稔厩舎に騎手候補生として入門し、1969年に同厩舎からデビュー。
1年目の1969年には3月1日の中京第2競走4歳未勝利・タカレットで初騎乗を果たすも2着で初勝利はならず、同馬に騎乗した同16日の中京第1競走4歳未勝利で初勝利を挙げる[2]。夏は北海道シリーズで4勝[3]を挙げるなど、京阪杯ではシュンサクオーでミスマルミチ・フイニイに先着する3着[4]に入り、1年目から2桁勝利の10勝[5]をマーク。
2年目の1970年には5月2日の阪神で初の1日2勝[6]、9月12日・13日の阪神では初の2日連続勝利[6]、中京記念では10頭中10番人気のゼットアローでスピーデーワンダーに勝利して枠連2万馬券[7]の波乱で重賞初勝利[6]を記録。
3年目の1971年には第1回高松宮杯をシュンサクオーで春の天皇賞馬メジロムサシにアタマ差勝利し[8]、天皇賞(秋)ではシュンサクリュウでトウメイの5着[9]に入り、12月11日の中京では初の1日3勝[10]を挙げるるなど初の20勝台となる27勝[5]をマーク。
1972年にはシュンサクリュウで京都記念(春)を制し、天皇賞(春)ではベルワイドの5着に入る[9]。桜花賞では13番人気のハジメローズでアチーブスターの2着[11]と健闘し、金鯱賞ではシングンで勝利し父シンザンに重賞初勝利をもたらした[12]。
1975年には自己最多の51勝[5]をマークし、1976年の宝塚記念ではオークス馬トウコウエルザで3着に健闘[13]。
1976年にはテンポイントの復帰戦[14]となった京都大賞典を14頭中10番人気のバッシングベンチャで勝利し、2着には12番人気のヒダロマンが入って枠連万馬券の波乱となった[15]。
1977年の桜花賞馬インターグロリア・オークス馬リニアクイン共倒れの京都牝馬特別をリネンジョオーで勝利し[16]、1978年の阪神大賞典ではキャプテンナムラで菊花賞馬インターグシケンと秋の天皇賞馬テンメイに勝利[17]。
1980年のエリザベス女王杯では尾形藤吉厩舎の関東馬タケノハッピーでハギノトップレディの2着[18]に入り、1982年には京都で初めて行われた[19]小倉記念をダートの条件戦を勝ったばかりのロングワーズで勝利[20]。
1982年にはフリーとなっているが、同年9月5日のレース中に村本善之の頭を2度打ち、開催4日間の騎乗停止となる。
1983年にはシンウルフ、1984年にはハッピープログレスでスプリンターズステークス[21]、1986年・1987年にはタイテエム産駒のピーターホーラーで愛知杯を連覇[22]したが、ピーターホーラーで連覇した1987年の愛知杯[22]が最後の重賞勝利[23]となった。
1987年の有馬記念では16頭中14番人気のハシケンエルドに騎乗し、直線半ばで同じ1枠のミスターブランディと共に抜け出すと[24]、コースロスの無い競馬で低評価を覆す3着に入った[25]。
1988年2月6日の京都第1競走4歳未勝利・イソノセイコーで最後の勝利を挙げ、同27日の阪神第9競走4歳抽せん馬特別・センシューベンツ(9頭中8着)を最後に現役を引退[26]。
1989年、厩舎を開業する。3月4日、初出走となった阪神競馬場での第11レースは、7番人気だったタカシャネルが9着となる。3月26日に阪神競馬場での第3レースで、1番人気だったリュウシャムソンが勝利し延べ9頭目で初勝利を挙げる。
1993年、息子・祐史が騎手となり厩舎に所属する。
1995年、東京障害特別(春)をリターンエースが制し重賞初勝利を挙げる。
2002年、4月4日に名古屋競馬場で行われた名古屋優駿を10番人気だったホーマンキュートが制し、地方競馬初勝利およびダートグレード競走初勝利を挙げる。
2013年、優駿牝馬(オークス)をメイショウマンボで、JRA・G1競走初勝利を挙げる。
2014年、体調不良を理由に2月28日付をもって調教師を引退。預託馬のうちメイショウマンボは、同年3月に厩舎を新規開業した息子の祐史に預託された[27]。
騎手成績
| 通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 平地 | 632 | 600 | 557 | 5303 | .119 | 232 |
| 障害 | 0 | 0 | 0 | 2 | .000 | .000 |
| 計 | 632 | 600 | 557 | 5305 | .119 | .232 |
| 日付 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 初騎乗 | 1969年3月1日 | 4歳未勝利 | タカレット | 10頭 | 2 | 2着 |
| 初勝利 | 1969年3月16日 | 4歳未勝利 | タカレット | 16頭 | 2 | 1着 |
| 重賞初騎乗 | 1969年7月27日 | 函館記念 | ミッキーゴイチ | 7頭 | 7 | 7着 |
| 重賞初勝利 | 1970年11月8日 | 中京記念 | ゼットアロー | 10頭 | 10 | 1着 |
| GI級初騎乗 | 1971年11月28日 | 天皇賞(秋) | シュンサクリュウ | 12頭 | 7 | 5着 |
主な騎乗馬
- ゼットアロー(1970年中京記念)
- シュンサクオー(1971年高松宮杯)
- シュンサクリュウ(1972年京都記念(春))
- シングン(1972年金鯱賞)
- フジノタカワシ(1974年スワンステークス)
- スズカハード(1975年金鯱賞)
- パッシングベンチャ(1976年京都大賞典)
- スリークルト(1977年京都4歳特別)
- リネンジョオー(1977年京都牝馬特別)
- リキタイコー(1977年CBC賞、1978年中日新聞杯)
- キャプテンナムラ(1978年阪神大賞典)
- テルノエイト(1979年シンザン記念, 札幌記念、1980年阪急杯)
- シルクスキー(1979年阪神牝馬特別)
- タニノテスコ(1980年京阪杯)
- バンブトンハーレー(1982年阪急杯)
- ロングワーズ(1982年小倉記念、京都記念 (秋))
- シンウルフ(1983年スプリンターズステークス)
- ハッピープログレス(1984年スプリンターズステークス)
- ピーターホーラー(1986年・1987年愛知杯)
- その他
調教師成績
| 日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 初出走 | 1989年3月4日 | 1回阪神3日11R | うずしおS | タカシャネル | 9頭 | 7 | 9着 |
| 初勝利 | 1989年3月26日 | 2回阪神2日3R | 3歳未勝利 | リュウシャムソン | 10頭 | 1 | 1着 |
| 重賞初出走 | 1989年12月17日 | 5回阪神6日11R | 阪神3歳S | ツールドフランス | 12頭 | 11 | 10着 |
| 重賞初勝利 | 1995年2月11日 | 1回東京5日9R | 東京障害特別(春) | リターンエース | 13頭 | 1 | 1着 |
| G1初出走 | 1992年11月15日 | 5回京都4日10R | エリザベス女王杯 | リュウホウ | 18頭 | 16 | 11着 |
| G1初勝利 | 2013年5月19日 | 2回東京10日11R | 優駿牝馬 | メイショウマンボ | 18頭 | 9 | 1着 |
主な管理馬
※太字はGIレース
- リターンエース(1995年東京障害特別 (春)・阪神障害ステークス (春)・京都大障害 (春) )
- テスコガリバー(1997年阪神障害ステークス (春))
- メイショウオウドウ(2000年産経大阪杯、2001年鳴尾記念)
- ホーマンキュート(2002年名古屋優駿)
- キョウワロアリング(2007年北九州記念)
- メイショウマンボ(2013年優駿牝馬・秋華賞・エリザベス女王杯・フィリーズレビュー)
主な厩舎所属者
※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
- 小崎憲(1992年-1997年 厩務員、調教厩務員、調教助手)
- 飯田祐史(1993年-2014年 騎手、技術調教師)
- 荒川義之(1995年-2007年 厩務員、調教厩務員、調教助手)
- 吉村圭司(1996年-2004年 厩務員、調教助手)
- 嘉堂信雄(1999年-2006年 騎手)
- 今村康成(2008年-2014年 騎手)
脚注
- ^ a b “飯田明弘元調教師が病気のため死去 70歳”. スポーツ報知 (2017年9月17日). 2017年9月17日閲覧。
- ^ “飯田明弘の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年10月18日閲覧。
- ^ “飯田明弘の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年10月18日閲覧。
- ^ “京阪盃|1969年11月9日”. netkeiba.com. 2025年10月18日閲覧。
- ^ a b c “飯田明弘”. netkeiba.com. 2025年10月18日閲覧。
- ^ a b c “飯田明弘の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年10月18日閲覧。
- ^ “中京記念|1970年11月8日”. netkeiba.com. 2025年10月18日閲覧。
- ^ “高松宮杯|1971年6月27 日”. netkeiba.com. 2025年10月18日閲覧。
- ^ a b “シュンサクリュウ”. netkeiba.com. 2025年10月18日閲覧。
- ^ “飯田明弘の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年10月18日閲覧。
- ^ “桜花賞|1972年5月21日”. netkeiba.com. 2025年10月18日閲覧。
- ^ “db.netkeiba.com/horse/select.html&id=000a000a2d&year=0000&mode=wn&type=sire&page=29”. netkeiba.com. 2025年10月18日閲覧。
- ^ “トウコウエルザ (Toko Elsa)”. netkeiba.com. 2025年10月18日閲覧。
- ^ “テンポイント”. netkeiba.com. 2025年10月18日閲覧。
- ^ “京都大賞典|1976年10月17日”. netkeiba.com. 2025年10月18日閲覧。
- ^ “京都牝馬特別|1977年10月30日”. netkeiba.com. 2025年10月18日閲覧。
- ^ “阪神大賞典|1978年12月24日”. netkeiba.com. 2025年10月18日閲覧。
- ^ “エリザベス女王杯|1980年11月16日”. netkeiba.com. 2025年10月18日閲覧。
- ^ “レース名[小倉記念]のレース検索結果|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年10月18日閲覧。
- ^ “ロングワーズ (Long Words)”. netkeiba.com. 2025年10月18日閲覧。
- ^ “レース名[スプリンターズステークス]のレース検索結果|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年10月18日閲覧。
- ^ a b “ピーターホーラー (Peter Hauler)”. netkeiba.com. 2025年10月18日閲覧。
- ^ “飯田明弘の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年10月18日閲覧。
- ^ “日刊競馬で振り返る名馬 - サクラスターオー(1987年・第32回有馬記念)”. www.nikkankeiba.com. 2025年10月18日閲覧。
- ^ “やはり有馬記念は内でうまく先行した馬が上位にくる。飯田騎手の言葉を思い出したのは今回が初めてではなかった【本城雅人コラム】:中日スポーツ・東京中日スポーツ”. netkeiba.com. 2025年10月18日閲覧。
- ^ “飯田明弘の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年10月18日閲覧。
- ^ メイショウマンボ、大阪杯で始動!飯田祐史師に預託 - スポーツニッポン 2014年1月5日
関連項目
固有名詞の分類
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