加藤 シヅエ (かとう しずえ)
1897〜2001 (明治30年〜平成13年) |
【婦人運動家】 女性解放に100才を越える人生を捧げた。婦人運動家の草分け。 |
昭和期の婦人運動家・政治家。旧姓広田。本名静枝。東京都出身。女子学習院卒。石本恵吉男爵と結婚後、夫が技師として勤める三池炭鉱に居住。そこで直面した多産と貧困の問題は彼女の一生のテーマともなった。1919年(大正8)渡米して婦人運動家マーガレット・サンガーに共鳴、帰国後「生めよ増やせよ」の時代に産児調節運動を開始し、34年(昭和9)東京東京都品川区に産児制限相談所を開設。第二次大戦後、46年に初の総選挙で再婚した加藤勘十(かんじゆう)とともに日本社会党から当選、婦人代議士第一号となった。 |
・近衛 文麿 | 1891年〜1945年 (明治24年〜昭和20年) | +6 |
・岸田 劉生 | 1891年〜1929年 (明治24年〜昭和4年) | +6 |
・河合 栄治郎 | 1891年〜1944年 (明治24年〜昭和19年) | +6 |
・芥川 龍之介 | 1892年〜1927年 (明治25年〜昭和2年) | +5 |
・西条 八十 | 1892年〜1970年 (明治25年〜昭和45年) | +5 |
・早川 徳次 | 1893年〜1980年 (明治26年〜昭和55年) | +4 |
・淺沼 稲次郎 | 1898年〜1960年 (明治31年〜昭和35年) | -1 |
・土方 与志 | 1898年〜1959年 (明治31年〜昭和34年) | -1 |
・溝口 健二 | 1898年〜1956年 (明治31年〜昭和31年) | -1 |
・近衛 秀麿 | 1898年〜1973年 (明治31年〜昭和48年) | -1 |
・吉野 源三郎 | 1899年〜1981年 (明治32年〜昭和56年) | -2 |
・田河 水泡 | 1899年〜1989年 (明治32年〜平成元年) | -2 |
・阪東 妻三郎 | 1901年〜1953年 (明治34年〜昭和28年) | -4 |
・小林 秀雄 | 1902年〜1983年 (明治35年〜昭和58年) | -5 |
・近藤 真柄 | 1903年〜1983年 (明治36年〜昭和58年) | -6 |
・古川 縁波 | 1903年〜1961年 (明治36年〜昭和36年) | -6 |
加藤シヅエ
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加藤 シヅエ(かとう シヅエ、旧姓:広田静枝、1897年〈明治30年〉3月2日 - 2001年〈平成13年〉12月22日)は、日本の政治家。元華族。婦人解放運動家・産児制限活動家。称号は東京都名誉都民[1]。位階は従三位。
注釈
- ^ 『心の軌跡―加藤シヅエと石本恵吉男爵1919‐1946』の著者・石本幸子は長男の妻。
出典
- ^ 「日本人名大辞典」 p43 2001年、講談社、上田正昭
- ^ M., Hopper, Helen (1996). A new woman of Japan : a political biography of Katō Shidzue. Boulder: Westview Press. ISBN 0813389712. OCLC 33048252
- ^ a b c Tipton, Elise (1997). “Ishimoto Shizue: The Margaret Sanger of Japan”. Women's History Review 6:3 (3): 337–355. doi:10.1080/09612029700200151.
- ^ “第56回国会 参議院 本会議 第4号 昭和42年8月10日”. 国会会議録検索システム. 2020年7月23日閲覧。
- ^ 佐野美和 (2020年5月31日). “灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(103)”. フォーサイト. 新潮社. 2020年6月2日閲覧。
- ^ a b Blacker, Carmen (2002年2月1日). “Shizue Kato”. The Guardian. 2022年11月6日閲覧。
- ^ a b c d 高山正之『習近平は日本語で脅す』新潮社
- ^ [1] 成田空港反対闘争、煽って逃げた社会党 小川国彦元衆院議員死去に思う:イザ!
- ^ “Muvs - Shidzue Ishimoto Kato (1897-2001)” (英語). muvs.org. 2023年2月22日閲覧。
- ^ Gelb, Joyce (1997). “Review of A "New Woman" of Japan: A Political Biography of Kato Shidzue”. The Journal of Asian Studies 56 (1): 208–209. doi:10.2307/2646389. JSTOR 2646389.
- ^ “第1回国会 衆議院厚生委員会 第35号 (昭和22年12月1日)優生保護法案の提案理由の説明”. 国会会議録検索システム. 国立国会図書館 (1947年12月1日). 2020年1月31日閲覧。
- ^ 第4回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第3号 昭和23年12月11日
- ^ “第065回国会 予算委員会 第7号”. 国会会議録検索システム. 国立国会図書館. 2019年2月4日閲覧。
- ^ 渡辺浩 (2017年5月29日). “【ニュースの深層】成田空港反対闘争、煽って逃げた社会党 テロ集団を育てたといっても過言ではない 小川国彦氏の死去に思う”. イザ!. 2022年5月27日閲覧。
- ^ 日本人名大辞典 p43 2001年、講談社、上田正昭
- ^ さだまさし「夢百合草」ライナーノーツ
- ^ a b c d e f 『心の軌跡―加藤シヅエと石本恵吉男爵1919‐1946』石本幸子、朝日新聞出版、2013、p12
- 1 加藤シヅエとは
- 2 加藤シヅエの概要
- 3 年譜
- 4 親族
- 5 関連文献
「加藤 シヅエ」の例文・使い方・用例・文例
- 加藤さんには、保育園に通う幼い子が二人います。
- 私は成田空港で働いている加藤です。
- 加藤さんは夏休み中です。
- 加藤さんのスケジュールの確認をさせていただきたくメールしました。
- 詳細は加藤から連絡します
- 加藤さんはその店を昔からひいきにしていました
- 私、藤井開発株式会社の輸出部の加藤と申します。
- え?トナーが切れてるんですか?仕方ないですね。加藤さん、すみませんが職員室に取りに行って下さい。
- 彼女は加藤先生に笑顔であいさつした。
- 彼はその夜加藤さんちでとまった。
- 加藤先生は去年あなたの先生でしたか。
- 加藤先生が私達に英語を教えてくださる。
- 加藤氏は、パリに在住していて、家に残した家族を懐かしがっている。
- 加藤君は、合衆国のことについて彼に多くの質問をしました。
- 加藤さんをご紹介します。
- 加藤君のクラスには40人の男女がいる。
- 加藤さんは年をとりすぎてもう働けなかった。
- 加藤さんは先生である。
- 「あの人は誰なんでしょうか」「加藤さんですよ」
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