国鉄分割民営化
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国鉄分割民営化(こくてつぶんかつみんえいか)は、第3次中曽根内閣が実施した行政改革である。日本国有鉄道(国鉄)をJRとして、6つの地域別の「旅客鉄道会社」と1つの「貨物鉄道会社」などに分割し、民営化するもので、これらの会社は1987年(昭和62年)4月1日に発足した。
注釈
- ^ 実際に導入されたのは1984年(昭和59年)の運賃改訂時である。
- ^ ロッキード事件で離党していた田中角栄は、民営化を含めた事業拡大は必要としつつも、分割は反対という立場であった。運輸省(現・国土交通省)も民営化に反対していた。早坂茂三『田中角栄回想録』
- ^ 1986年5月21日、動労新幹線各支部三役会議で葛西敬之が「私はこれから、(国労の)山崎の腹をブンなぐってやろうと思っています。みんなを不幸にし、道連れにされないようにやっていかなければならないと思うんでありますが、不当労働行為をやれば法律で禁止されていますので、私は不当労働行為をやらないということで、つまり、やらないということは、うまくやるということでありまして…」。と挨拶したという。
- ^ 「巨額の債務で身動きできない限界まで来ていた。結局、『自民党の右翼バネが働き、国鉄のリストラ・再生の為に左翼運動がダシにされた』という見方もできる」仁田道夫(国士舘大学教授)。週刊エコノミスト 2015年4月7日号『【国鉄スト権スト・40年目の真実】(上) 労使一体のストライキが招いた予想外の労働運動の退潮』
- ^ 上下分離方式や公設民営方式が採用されなかったのは、政治的な圧力によって不要不急の地方路線が多数建設されるといった弊害を防止するため。
- ^ 来宮駅は営業上は伊東線の駅であるが、東海道本線と伊東線は来宮駅まで並行しており、伊東線来宮駅ホームの脇の東海道本線上に熱海駅で折り返すJR東日本の列車を留置する場所があることから、運転取り扱い上は東海道本線上にも来宮駅があるものとされており、ここまでをJR東日本が管轄している。
- ^ なお後身の伊勢車両区は2016年3月31日に廃止。
- ^ 元々、日本共産党は日本共産党第6回全国協議会以降暴力革命放棄の路線で現在に至っており、左翼過激派や日本社会党(現・社会民主党)系のいわゆる「新左翼」とは敵対関係にあった。
- ^ のち、2015年4月より上下分離で北近畿タンゴ鉄道は第三種鉄道事業者となり、WILLER TRAINS(運営会社の愛称は「京都丹後鉄道」)が第二種鉄道事業者となっている。
- ^ 大阪鉄道管理局管内にある東海道本線と山陽本線にまたがる複々線区間は、外側線(列車線)を本社権限(主に長距離輸送を担う特急や貨物列車)で、内側線(緩行線)を大阪局権限(主に近郊輸送を担う快速や普通列車)で、それぞれが列車の設定を行っていたため、それぞれの線路に速度の違う列車が走行するなど非効率なものであった。※当該区間の輸送実態については京阪神緩行線などを参照。
- ^ 自動列車停止装置(ATS)について見た場合、大手私鉄は1967年(昭和42年)1月に運輸省から出された通達により「速度照査機能」の付加と「常時自動投入」が義務化されたのに対し、国鉄は都市部の区間に導入されたS形を除いて速度照査をおこなわず閉塞区間への進入時に非常制動がかかるのみであり、私鉄に対して大きく遅れていた。
- ^ 優等列車を運行している都市間を結ぶ幹線の電化は七尾線(一部)、山陰本線(京都・福知山間)・舞鶴線と予讃線(観音寺・伊予市間)で、それ以外は札沼線(一部)・相模線・八高線(一部)・武豊線・片町線(一部)・加古川線・播但線(一部)・筑豊本線(一部)・篠栗線・豊肥本線(一部)など、都市近郊の路線・区間が大半である。どちらにも属さない路線では小浜線や、青函トンネルの接続線として整備された津軽線・江差線(いずれも一部)、大規模施設のアクセスとして整備された大村線・日南線(いずれも一部)、都市から離れた新幹線駅とのアクセスとして整備された函館本線(一部)がある。
- ^ 福知山線脱線事故で明るみになった日勤教育問題は、一般社会においてもパワーハラスメントが社会問題化するきっかけとなった。
- ^ 理論上は、保安装置の技術水準が向上していることを考慮すれば、時代が進むにつれて事故率は自ずと下がってゆくことになる。
- ^ JR連合が連合に加盟しようとするとき、JR総連からの反対があった。
- ^ JR東日本でも2018年に労政転換があり、その後はJR総連傘下の労組からの脱退が相次いだため、現在ではJR東日本においてもJR総連は少数派に転落し影響力も低下している。
- ^ JR連合が多数派の会社で行われていた日勤教育は福知山線脱線事故の際に白日にさらされ、パワーハラスメントがその後社会問題化するきっかけともなった。
- ^ 後述の鉄道事業法改正以前では、所属上「幹線の一部」であった函館本線上砂川支線や美祢線大嶺支線、代替交通未整備を理由に国鉄時代に廃止対象から除外された深名線がそれに当たる。また、七尾線の一部区間については、運営がのと鉄道に移管(JRは第三種鉄道事業者となる)された(のち2001年に移管区間の半分以上を廃止)。
- ^ 2011年3月までは、原則として代行バスも運転しなかった(JR西日本保守工事に伴う列車運休のお知らせ)
- ^ 可部線の廃止区間のうち、可部駅からあき亀山駅(旧河戸駅付近)までの1.6kmについては電化の上で2017年3月4日に鉄道営業が復活した。
- ^ このほか、富山港線が2006年に富山ライトレールに移管された(一部区間は廃止)。
- ^ 夕張支線は、「夕張線」だった時代の石炭輸送により、国鉄再建法での区分は「幹線」であった。
- ^ 常磐線・仙石線・石巻線については鉄道での復旧を明らかにしており、石巻線と仙石線は一部線路を移設の上で、それぞれ2015年3月と5月に全線で運行を再開した。
出典
- ^ 国鉄の資金調達スキーム: 経営破綻と民営化 (PDF) - 高橋伸夫 東京大学大学院経済学研究科 経営教育研究センター
- ^ 補論 三公社の会計制度 - 内閣府経済社会総合研究所
- ^ 黄永鎮『日本の地方鉄道の存廃問題における国の鉄道政策に関する考察 : 国鉄地方鉄道対策の展開過程とその連続性を中心に』 早稲田大学 博士論文 (公共経営)〈博士(公共経営) 甲第2692号〉、2008年。NAID 500000473551 。
- ^ 『財界』特別増刊 国鉄分割民営化とJR10年目の総決算 財界研究所
- ^ 行政改革大綱 1982.
- ^ 特集 国鉄分割・民営化問題 II 分割・民営化路線と国鉄当局の対応 - 『日本労働年鑑 第57集 1987年版』 法政大学大原社会問題研究所
- ^ 第102回国会 予算委員会 第5号 昭和六十年二月六日(水曜日) - 衆議院
- ^ 佐藤達也『国鉄民営化の疑惑 100兆円資産の研究』1986年 第三書館
- ^ [鉄道ジャーナル 91年4月号 P59 鉄道ジャーナル社]
- ^ 西岡研一『マングローブ―テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実』講談社、2007年6月19日。ISBN 9784062140041。
- ^ 日本国有鉄道改革法 - 第二十三条参照
- ^ 佐藤昭夫『国家的不当労働行為論―国鉄民営化批判の法理』
- ^ 昭和61(ワ)7204等 国鉄清算事業団担務指定損害賠償 平成6年08月26日 大阪地方裁判所
- ^ 平成16(ワ)27670 損害賠償等請求事件(通称 鉄道建設・運輸施設整備支援機構職員再就職差別損害賠償) 平成20年1月23日 東京地方裁判所
- ^ 『労働運動』2012年10月号 特集 11・4全国労働者総決起集会へ! --国鉄1047名解雇撤回!
- ^ 葛西敬之 2001, pp. 297–299.
- ^ [鉄道ジャーナル 92年1月号 鉄道の復権]
- ^ JR東日本会社要覧2015 首都圏の朝通勤ピーク時の混雑率推移 (PDF) によると1987年238%→2014年174%
- ^ [財界特別増刊 「国鉄分割民営化とJR10年目の総決算」 財界研究所]
- ^ 資料
- ^ 武田泉「国鉄分割・民営化成功の神話と現実-JRによる知られざるロングシート問題からの検討」『交通権』第1998巻第16号、交通権学会、1998年、11-25頁、CRID 1390001205822759552、doi:10.20611/kotsuken.1998.16_11、ISSN 0912-5744。
- ^ 佐藤充 疲弊する若手社員 - 鉄道業界の舞台裏メールマガジン 2006年12月3日
- ^ JR連合・浦和電車区事件。なお、JR総連側はこの事件で懲戒解雇された7人を冤罪としてJR東日本を相手取り、処分取り消しと損害賠償を求める訴えを起こしている。刑事事件では第一審・第二審とも有罪が下されているが、民事訴訟では2名について懲戒解雇無効の判決を言い渡した
- ^ 地位確認訴訟についての見解 (PDF)
- ^ 安全は取り戻せるか―運転再開1か月― 2005年7月21日読売新聞
- ^ 『JR西日本の大罪』 鈴木ひろみ・山口哲夫 p168(五月書房 ISBN 4-7727-0431-0)
- ^ JR東海の元社員が語る「入社時にピラミッドに組み込まれ“ロボット人間”が好まれる会社」
- ^ 神戸新聞「安全の行方(2)労働組合 職場にも影落とす対立 巨大鉄道会社の半年」2005年10月21日
- ^ 神戸新聞 「安全は築けるか 検証・JR西日本(5)労組 現場で続く対立、差別」2006年4月19日
- ^ 2002年11月7日「国労に人権と民主主義を取り戻す会」が「国労本部執行部に対する公開質問状」を提出
- ^ 国労5.27臨大闘争事件
- ^ 鎌田慧 鎌田慧の現代を斬る/JR偽装倒産 - 月刊『記録』1996年8月号
- ^ 国土交通省 2006, p. 4.
- ^ 立山学『JRの光と影』岩波書店〈岩波新書〉、1989年2月20日、68-69頁。ISBN 9784004300601。
- ^ 国土交通省 2006, p. 8.
- ^ 『朝日新聞』 1988年3月23日号、狩野誠一、「検証JR一年 ―国鉄の分割・民営化はいま 1」
- ^ 「2 清算事業団による債務の処理」 平成10年度運輸白書
- ^ JR江差線の廃止決定、バス転換で3町合意
- ^ JR東日本、岩泉線廃止について発表 - 沿線自治体が合意し、バス代替輸送へ
- ^ 留萌線(留萌・増毛間)の鉄道事業廃止について (PDF) - 北海道旅客鉄道(2015年8月10日)
- ^ “さらば増毛駅、町民とファンお別れ 最終列車シカと衝突”. 朝日新聞. (2016年12月4日) 2016年12月5日閲覧。
- ^ “JR西:三江線18年3月末で廃線”. 毎日新聞. (2016年9月30日) 2016年10月16日閲覧。
- ^ “JR石勝線の夕張支線が最終運行 廃線し、バス転換へ”. 朝日新聞. (2019年3月31日) 2019年4月12日閲覧。
- ^ JR東、被災2路線の鉄路復旧を断念 - 日本経済新聞2015年7月28日
- ^ “気仙沼線と大船渡線のBRT区間 鉄道事業の廃止日を4月1日に繰り上げ JR東日本”. 乗りものニュース. (2020年1月31日) 2021年2月13日閲覧。
- ^ 【速報】JR山田線の三鉄移管に合意 沿線自治体と県 - 岩手日報2014年12月24日
- ^ 国鉄は根本的整備が必要である―産業計画会議第4次レコメンデーション(1959年) ASIN: B000JATA1Q, 経済往来社
- ^ 国鉄は日本輸送公社に脱皮せよ―国鉄問題に関する第2次勧告(1968年) ASIN: B000J9R3HA, 経済往来社
- 1 国鉄分割民営化とは
- 2 国鉄分割民営化の概要
- 3 承継法人
- 4 経過
- 5 民営化後
- 6 関連項目
国鉄分割民営化
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「国鉄動力車労働組合」の記事における「国鉄分割民営化」の解説
鬼の動労と呼ばれた動労も、1975年(昭和50年)のスト権ストの敗北によってストライキ戦術がもはや効果的でないと判断、国労と内々に協議しストライキ戦術の放棄を決める。「まず動労が決めないと国労は意見がまとまらない」との国労側の声で先にストライキ放棄を宣言したが、国労内部では意見が分裂し、方針を決めることができなかった。国労に梯子を外された格好の動労は激怒し、両者の路線対立は決定的となる。 貨物列車の衰退がトラックへの移行で著しくなる中、職場を守るため1978年(昭和53年)には貨物列車に関するストを行わない旨を決定する(ゴーサントオ改正にあわせたもので、「貨物安定宣言」としてその旨を宣言した。また、ストライキによって貨物輸送が減ったという批判に対し、反論するためという理由もあった)。1982年(昭和57年)から1984年(昭和59年)頃には、外部からの批判によって国鉄の職場荒廃(カラ出張、ヤミ休暇など)への改善運動が実施されたが、動労はこれにも国労と比較すれば協力する姿勢をとっている。 国鉄分割民営化にあたっては国労が徹底抗戦の構えを見せる一方、動労は松崎明委員長の下、組合員の雇用を絶対に守るという方針から民営化賛成に転換し、1986年(昭和61年)1月、鉄労、全施労とともに国鉄当局と「労使共同宣言」を締結、国労と共に分割民営化反対を唱えていた総評を脱退している。 その結果、ほとんど不採用者・脱落者を出すことなく新会社に採用されたが、組合員個人の意思に反した広域配転(北海道・九州→首都圏へなど)が行われたり、50歳以上の組合員に対しては採用が手控えられ一律に勧奨退職の対象となるなど、結果的に国鉄を追われる形で辞めた組合員は多い。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}また一部に不採用となった動労役員がいたが、民営化後に子会社役員に招聘されるなど、見せかけだけの「不採用」は、予定調和だったとされている。[要出典] その後鉄労などと国鉄改革労組協議会を組織し、それを母体に民営化後のJRでは統合して全日本鉄道労働組合総連合会(鉄道労連、のちJR総連)を結成、民営化された新会社における労働運動で主導権を握った。
※この「国鉄分割民営化」の解説は、「国鉄動力車労働組合」の解説の一部です。
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