つるみ‐かずこ【鶴見和子】
鶴見和子
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鶴見 和子(つるみ かずこ、1918年(大正7年)6月10日 - 2006年(平成18年)7月31日)は、日本の社会学者。上智大学名誉教授。国際関係論などを講じたが、専攻は比較社会学。南方熊楠や柳田國男の研究などでも知られる。
- ^ a b 石塚 2010, p. 65.
- ^ 石塚 2010, p. 213.
- ^ a b 石塚 2010, p. 268.
- ^ a b 石塚 2010, p. 185.
- ^ 石塚 (2010, p. 65)。母・愛子が当時外務大臣となっていた母方の祖父・後藤新平の世話をしていたため、同区狸穴町の外務大臣官邸で生まれた(同)。同年4月8日には母方の祖母・和子が死去している(同)。
- ^ 石塚 2010, p. 118.
- ^ 石塚 2010, pp. 137.
- ^ 石塚 2010, pp. 195, 199.
- ^ 石塚 2010, p. 198.
- ^ 石塚 2010, pp. 201, 204.
- ^ 石塚 2010, p. 206.
- ^ 石塚 2010, pp. 207, 213.
- ^ 石塚 2010, p. 216.
- ^ 石塚 2010, pp. 216, 219.
- ^ 石塚 2010, p. 223.
- ^ 石塚 2010, p. 224.
- ^ 石塚 2010, p. 227.
- ^ 鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二『戦争が遺したもの 鶴見俊輔に戦後世代が聞く』新曜社、2004年、291~292頁。鶴見俊輔の証言による。
- ^ 石塚 2010, p. 247.
- ^ 石塚 (2010, p. 252)。最初の半年は面会謝絶状態にあった(同)。
- ^ 石塚 2010, pp. 261–263.
- ^ 石塚 2010, p. 256.
- ^ 石塚 2010, pp. 256, 262, 263.
- ^ 石塚 (2010, p. 265)。鶴見にかわり、弟の直輔や俊輔夫妻が父の世話をした(石塚 2010, pp. 265–266)。
- ^ 石塚 (2010, p. 266)。首席合格し、ポッブズ・メリル賞を受賞した(同)。
- ^ 石塚 2010, p. 266.
- ^ 石塚 2010, p. 267.
- ^ 博士論文は「Social change and the individual; Japan before and after defeat in World War II」として1970年にPrinceton University Pressから出版された。[要出典]
- ^ 1982-84年には同研究所所長。1989年定年退職。
- ^ 石塚 2010, p. 270.
- ^ それぞれに成果が刊行されている。[要出典]これらの調査・研究の中で試みられてきた「内発的発展論」への理論的構築の過程で柳田國男の仕事や南方熊楠の手がけた粘菌研究および「萃点の思想」にも着目。[要出典]男女、大人と子ども、人と動物から、世代、時代を超えた共生などにも自らの理論構築の中で大胆なアプローチを試みるようになった。[要出典]
- ^ 石塚 2010, p. 272.
- ^ リハビリの過程は、専門医の上田敏・大川弥生との共著 『回生を生きる 本当のリハビリテーションに出会って』(三輪書店、1996年、増補版2007年)に詳しい。
- ^ 鶴見は、脳出血で半身麻痺になってから、京都府宇治市の介護老人ホームで、リハビリ生活を続けてきていた。だが、2006年4月に施行された「リハビリ医療の日数制限制度」により、リハビリを打ち切られていた。「日数制限制度」に反対している、自らもリハビリ患者である多田富雄は「鶴見さんの死の直接の原因は癌であっても、リハビリ制限が死を早めたことは間違いない」と記している。また鶴見も、生前に藤原書店の季刊誌『環 第26号』でリハビリ制限制度について、「これは費用を倹約することが目的ではなくて、老人は早く死ね、というのが主目標なのではないだろうか。この老人医療改訂は、老人に対する死刑宣告のようなものだと私は考えている」と記述している。多田富雄『わたしのリハビリ闘争 最弱者の生存権は守られたか』(青土社、2007年)より
- ^ a b 鶴見, 加藤 & 黒川 2006, p. 50.
- ^ 季刊誌「環」第31号(2007年11月)より。美智子皇后はその後も、鶴見和子を偲ぶ「山百合忌」に出席している(朝日新聞デジタル:「水俣の苦しみ今も」石牟礼さん、皇后さまに手紙 - 社会)。
- ^ 『複数の東洋/複数の西洋――世界の知を結ぶ』(藤原書店、2004年)より
- ^ a b c 小谷野 2007, pp. 177, 179.
- ^ 小谷野 2007, pp. 178–179.
- ^ a b 小谷野 2007, p. 179.
- ^ 石塚 2010, p. 17.
- ^ 小谷野 2007, pp. 177–179.
- ^ “第1回~第10回南方熊楠賞受賞者”. 南方熊楠顕彰館. 2022年8月16日閲覧。
- ^ “朝日賞 1971-2000年度”. 朝日新聞社. 2022年8月16日閲覧。
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