森山汀川とは? わかりやすく解説

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森山汀川

歌人本名藤一長野県の人。小学校教員子規訪ね歌をよくし、赤彦と共に『ひむろ』創刊。のちアラゝギに合流する穏和篤実古典的な作風によって歌を嗜み門下には荒井孝がいる。歌集『峠路』『垣』『樹下』等がある。昭和21年1946)歿、67才。

森山汀川

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/23 13:58 UTC 版)

森山 汀川
(もりやま ていせん)
誕生 1880年9月30日[1]
日本 長野県諏訪郡落合村(現・富士見町[1]
死没 (1946-09-17) 1946年9月17日(65歳没)[1]
職業 歌人
言語 日本語
ウィキポータル 文学
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森山 汀川(もりやま ていせん、1880年9月30日[1] - 1946年9月17日[1])は、日本歌人。本名:森山 藤一。

略歴

長野県諏訪郡落合村(現・富士見町)生まれ[1]。諏訪郡立実科中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)在学中に俳句を始める。正岡子規に師事。旧制中学校卒業後、1901年から小学校の教師を務める[1]

1900年、同じく長野県で教師をしていた歌人・島木赤彦を知り、短歌に専念[1]。1903年、島木赤彦、太田水穂らとともに歌誌「比牟呂」(ひむろ)を創刊した[2]。「比牟呂」は1909年、「アララギ」(1908年創刊)に合流[3]。汀川は師の島木赤彦らとともに「比牟呂」、「アララギ」の編集に携わった。1929年より「アララギ」選者[1]。ほかに、「信毎歌壇」(信濃毎日新聞)の選者も務めた。

戦後は1946年、土屋文明の提案により、甲信越版「アララギ」として第二次「ヒムロ」を発刊したが、同年に死去した。汀川の死去後、第二次「ヒムロ」の編集・発行人は北澤敏郎らが務め、月刊の歌誌として刊行が続いている。[2]

孫に歌人・文筆家の宮坂丹保(みやさか にほ)がいる。

歌集

  • 『峠路』(とうげみち) (アララギ叢書第53編、古今書院、1932年)
  • 『雲垣』(くもがき) (アララギ叢書第80編、岩波書店、1940年)
  • 『樹雫』(きのしずく)(比牟呂社、1951年)

校歌の作詞

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j 新井章「森山汀川」篠弘馬場あき子佐佐木幸綱監修『現代短歌大事典』(三省堂、2000年)603頁
  2. ^ a b 新井章「比牟呂」篠弘・馬場あき子・佐佐木幸綱監修『現代短歌大事典』(三省堂、2000年)507頁
  3. ^ 今西幹一「アララギ」篠弘・馬場あき子・佐佐木幸綱監修『現代短歌大事典』(三省堂、2000年)19-21頁
  4. ^ 学校の概要 - 松川北小学校

参考文献

  • 北澤敏郎『評伝 歌人森山汀川(ヒムロ叢書(第25編))』ユースビジコム出版、1999年
  • 宮坂丹保『森山汀川あて書簡にみるアララギ巨匠たちの素顔』銀河書房、1996年
  • 宮坂丹保『汀川と「アララギ」その周辺』信濃毎日新聞社、2015年

外部リンク



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