政府・宮中
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:22 UTC 版)
事件の収拾後、岡田内閣は総辞職し、元老西園寺公望が後継首相の推薦にあたった。しかし組閣大命が下った近衛文麿は西園寺と政治思想が合わなかったため、病気と称して断った。一木枢密院議長が広田弘毅を西園寺に推薦した。西園寺は同意し、広田に組閣大命が下った。3月6日には新聞で新閣僚予定者の名簿も掲載され、親任式まで順調に進むかに思われた。 しかし陸軍は陸相声明として、「新内閣は自由主義的色彩を帯びてはならない」とまず釘をさした。そして、陸軍省軍務局の武藤章中佐が陸相代理として組閣本部に乗り込み、下村宏、中島知久平、川崎卓吉、小原直、吉田茂などを名指しして、自由主義的な思想を持つと思われる閣僚候補者の排除にかかった。広田は陸軍と交渉し、3名を閣僚に指名しないことで内閣成立にこぎつけた。
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