嘉南大圳
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嘉南大圳 |
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嘉南大圳麻豆支線
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登録名称 | 烏山頭水庫暨嘉南大圳水利系統 |
種類 | 水利施設 |
等級 | 文化景観 |
文化資産登録 公告時期 |
2009年10月5日[1] |
位置 | ![]() 嘉義県、台南市 |


嘉南大圳(かなんたいしゅう、台湾語発音:Ka-lâm Toā-chùn、中国語拼音: )とは、1930年(昭和5年)に竣工した台湾で最大規模の農水施設であり[2]、完成当時は東洋一ともいわれた[3]。日本統治時代の最重要な水利工事の一つである。
工事の経緯
日本統治時代前期、嘉義庁、台南庁(現在の雲林、嘉義、台南等の県市)を中心とする嘉南平原地区は、灌漑設備のない農地や甘蔗農園が約15万甲(1甲=約0.97ha、15万甲=約1,455km²)あり、常に日照りや豪雨、さらには排水不良に悩まされてきた[2]。この問題を解決するため、台湾総督府は曽文渓と濁水渓を水源として本農水施設を作ることとした[2]。設計は総督府の技師八田與一が担当した。1920年9月に土木工事を開始し、総工費5,414万円をかけ、1930年4月10日に竣工した[4]、工事は、まず当時東南アジア最大だった烏山頭ダムの建設から始まった。その後、水路が開削され、曽文渓と濁水渓二つの水系を接続した。
本施設の概要
烏山頭ダムで取水された後、北幹線と南幹線に分かれる。北幹線は烏山頭より北に向かい、急水渓、八掌渓、朴子渓を越え、北港渓南岸に至る。南幹線は南に向かって官田渓、曽文渓を越えて台南市善化区に至る。また、烏山頭ダム以外に濁水渓にも3箇所の取水口が設けられており、それぞれ林内第一取水口、林内第二取水口と中囲子第三取水口がある。林内第一取水口から取水したのが濁幹線で、旧虎尾渓の左岸に沿って南に向かい北港渓に至り、北幹線と接続されている。
本施設の効果
本施設の完成により、嘉南平原の耕地面積と水利灌漑面積は増え続け、砂糖キビや多くの畑が水田に変わったことにより米等の農作物の生産量が大幅に拡大した[2]。
出典
- ^ 烏山頭水庫暨嘉南大圳水利系統 文化部文化資産局 国家文化資産網
- ^ a b c d 呉(2010)200ページ
- ^ “激動 アジアの隣人たち 台湾 130年の傷痕”. NHK. 2025年7月25日閲覧。
- ^ 王萬邦『台灣的古圳道』 遠足文化、2003年、ISBN 9572856103
参考文献
- 呉密察監修、横澤泰夫日本語版編訳「増補改訂版台湾史小辞典」(2010年)中国書店(福岡)
関連項目
外部リンク
嘉南大圳
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「嘉南大圳」も参照 1918年(大正7年)、八田は台湾南部の嘉南平野の調査を行った。嘉義・台南両庁域も同平野の区域に入るほど、嘉南平野は台湾の中では広い面積を持っていたが、灌漑設備が不十分であるためにこの地域にある15万ヘクタールほどある田畑は常に旱魃の危険にさらされていた。そこで八田は民政長官下村海南の一任の下、官田渓の水をせき止め、さらに隧道を建設して曽文渓から水を引き込んでダムを建設する計画を上司に提出し、さらに精査したうえで国会に提出され、認められた。事業は受益者が「官田渓埤圳組合(のち嘉南大圳組合)」を結成して施行し、半額を国費で賄うこととなった。このため八田は国家公務員の立場を進んで捨て、この組合付き技師となり、1920年(大正9年)から1930年(昭和5年)まで、完成に至るまで工事を指揮した。そして総工費5,400万円を要した工事は、満水面積1000ha、有効貯水量1億5,000万m3の大貯水池・烏山頭ダムとして完成し、また水路も嘉南平野一帯に16,000kmにわたって細かくはりめぐらされた。この水利設備全体が嘉南大圳(かなんたいしゅう)と呼ばれている。ダム建設に際して作業員の福利厚生を充実させるため宿舎・学校・病院なども建設した。爆発事故の翌年には関東大震災が起こり予算削減の為に作業員を解雇しなければならなかった。八田は、有能な者はすぐに再就職できるであろうと考え、有能な者から解雇する一方で再就職先の世話もした。 2000年代以降も烏山頭ダムは嘉南平野を潤しているが、その大きな役割を今は曽文渓ダム(中国語版)に譲っている。この曽文渓ダムは1973年に完成したダムで、建設の計画自体も八田によるものであった。また、八田の採った粘土・砂・礫を使用したセミ・ハイドロリックフィル工法(コンクリートをほとんど使用しない)という手法によりダム内に土砂が溜まりにくくなっており、近年これと同時期に作られたダムが機能不全に陥っていく中で、しっかりと稼動している。烏山頭ダムは公園として整備され、八田の銅像と墓が中にある。また、八田を顕彰する記念館も併設されている。
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