夏目家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 04:44 UTC 版)
夏目家の系図(夏目氏系譜(武家家伝))によると、何代目か前の先祖が武田家に仕え、甲斐国八代郡夏目邑を賜わり、それから数代後に武田勝頼が没落したため、甲州から武州埼玉郡岩槻邑に移り、さらに後武州豊島郡牛籠村に隠れて郷士となった。1702年(元禄15年)旧暦4月、夏目兵衛直情の時、名主に任じられた。 現在も新宿区に存在する“夏目坂”は、漱石の父・直克により名付けられた。生誕の地の碑も坂に面している。 家紋(定紋)が“井桁に菊”であることから町名を喜久井町としたのも、直克であった。なお、漱石自身の家紋は「菊菱」である。これは漱石が長男でないため、分家の証として用いていると考えられる(本家と分家は違う家紋を用いるのが通常である)。 父・直克、母・千枝(ちゑ)に五男一女があり、漱石は五男である。千枝は直克の後妻であり、伊豆橋という新宿の遊女屋の娘だった。『夏目漱石 人と作品3』 11頁によると、「遊女屋は当時はそれほど卑(いや)しい職業とみなされず、一種の社交場とされていた。その家族は店と別に住み、遊芸や茶の湯をして過ごすというふうで、趣味的な生活をしていたのである。しかし直克はやはり世間体を考えに入れた。そこで千枝の姉の嫁入り先の、芝の薩摩藩お出入りの炭問屋高橋長左衛門の妹として結婚したが、表向きは四谷大番町の鍵屋という質屋から嫁いだことにしていた。そのため漱石は、終生母の実家は質屋だと思い込んでいたらしいという。直克と先妻との間に二女(異母姉)がいる。 三兄・和三郎(夏目直矩)の孫に、芸能プロダクション経営者でVISAカードのCFで漱石役を演じた新田太郎がいる。 三兄・和三郎(夏目直矩)の別の孫に朝日新聞社員(『週刊朝日』副編集長、『アサヒカメラ』編集長、『図書』編集長、『美術図書』編集長などを歴任)の角田秀雄。 妻 - 夏目鏡子との間に2男5女。次女・恒子は、『其面影』を著している。 四女・愛子は、津田青楓の少女像のモデルとなっている。 五女・雛子は1歳で亡くなっている。その臍の緒が発見され、東北大学が購入している。
※この「夏目家」の解説は、「夏目漱石」の解説の一部です。
「夏目家」を含む「夏目漱石」の記事については、「夏目漱石」の概要を参照ください。
夏目家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 06:02 UTC 版)
山田房子(やまだ ふさこ) 演 - 黒島結菜(幼少期:安藤美優) 鏡子の従妹。女学校を卒業した後、夏目家に住み込んで花嫁修業をする。 夏目筆子(なつめ ふでこ) 演 - 五戸みう(幼少期:横山芽生) 長女。 夏目恒子(なつめ つねこ) 演 - 根本真陽(幼少期:苑美) 次女。 夏目栄子(なつめ えいこ) 演 - 南郷蘭奏 三女。 夏目愛子(なつめ あいこ) 演 - 長谷川愛鈴 四女。 テル 演 - 猫背椿(1・2話) 女中。 ヒサ 演 - 川俣しのぶ(2・3・4話) 女中。
※この「夏目家」の解説は、「夏目漱石の妻」の解説の一部です。
「夏目家」を含む「夏目漱石の妻」の記事については、「夏目漱石の妻」の概要を参照ください。
- 夏目家のページへのリンク