人と作品とは? わかりやすく解説

人と作品

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 06:42 UTC 版)

栗本薫」の記事における「人と作品」の解説

20代前半1977年群像新人文学賞評論部門を、翌1978年江戸川乱歩賞受賞した当時早稲田大学創設されたばかりの「文芸科出身小説家としても話題となった同時デビュー見延典子がいる。また、分野ごとに中島梓栗本薫両名義を使い分け乱歩賞受賞直後には『平凡パンチ誌上中島梓栗本薫1人2役対談企画された。 約30年間の活動で、新刊だけで約400冊の作品発表した。その中には1年間20冊以上の新刊発表した年も4年あり、晩年年間10冊以上の新刊発表していた。 多作半面で、刊行され自作読み返すことをしないことで知られた。『天の陽炎大正浪漫伝説』の原稿一部欠けたまま2007年刊行されていたことが、『傑作電子全集』の編集過程判明し補足した完全版配信された。遺品パソコンから欠落箇所見つけた今岡は「栗本推敲もせずに一気書き校正もほぼしない」と回想している。) SFファンタジー伝奇・時代小説ホラーミステリ耽美小説など、作品極めて幅広いジャンル渡っていることも大きな特徴である。特に1980年代には、それぞれの分野人気博し様々なベストセラー作品生み出す同時に、各ジャンル数多くアンソロジー作品収録された。 「文学における物語性復権」を唱え実践する姿勢は、デビュー当初、非常に高く評価された。新たなジャンル先駆者として後の創作者たちに影響与えた功績大きいが、その一方で様々なジャンル・フィクション(漫画含む)の愛読であった栗本には、過去読んだ小説・漫画など影響が強い作品多くその作品オリジナリティが低いという指摘もある(ただし、必ずしも批判的な指摘ではない)。栗本自身、その創作活動においてオリジナリティに全く重きを置いておらず、そのこと自身著作小説道場』(中島梓名義)の中で公言している。 ミステリーに対して謎解き理論よりも文体雰囲気に、SFに対して現実対すフィクションアプローチとしてのSF手法興味中心があると述べている。 作品には、森茉莉影響を受け、同性愛傾向見られるものも多い。1978年耽美小説誌『JUNE』の創刊にも深く関わっており、創刊号には第二サガン評され20歳フランス人女性小説家という架空経歴で、ジュスティーヌ・セリエの名でフランス舞台にした耽美作品薔薇十字館』を発表し日本人女子大生あかぎはるなの訳となっているが、これも栗本筆名挿絵竹宮惠子)、フランスで大学生活などの架空近況報告行いつつ、セリエ名義では4作品発表した1979年刊行された『真夜中天使』は、1975年TBSテレビ放送され沢田研二主演テレビドラマ悪魔のようなあいつ』の男性登場人物たちの関係性触発され草案練ったものだという。現在のボーイズラブに繋がる源流的な作品として、ジャンル創始一役買った作品でもあるとされる。『JUNE誌上では栗本薫中島梓の他、ジュスティーヌ・セリエ、あかぎはるな、神谷敬里、滝沢美女夜沙羅、アラン・ラトクリフなど、様々な名義作品評論を提供、あかぎはるな名義では『comic JUN』に掲載されブックガイド記事世界JUN文学全集 西洋篇」「世界JUN文学全集 日本篇」の監修など行い読者少女たちを楽しませるだけでなく、「男性同士性愛」を軸に文化・教養紹介することに尽力した。『JUNE』で連載された『小説道場門下からも、秋月こお江森備、柏枝真郷榎田尤利など、同ジャンル作品手がける多数作家輩出している。また、JUNE休刊後直接小説術を伝授する中島塾」を主宰していた。 中島梓名義評論作品は、相対的に作品数少ないが、『コミュニケーション不全症候群』は、現代日本人コミュニケーション薄弱な生活を鋭く分析しており、笠井潔などから高い評価得ている。 幼少時より創作活動行っていたが、元々は小説家よりも漫画家志向強かった漫画雑誌COM』の愛読者であり、同誌主催コンテスト何度応募しまた、S-Fマガジン』誌主催のコンテスト・イラスト部門へも応募したが、いずれも落選した栗本描いたイラスト漫画はほとんど発表されていないが、『S-Fマガジン1987年1月臨時増刊号イラスト集「グイン・イメージ・ボード」が、『別冊小説現代1985年WINTER号に漫画「D介日記 日々是好日」が掲載されている。 小説執筆活動学生時代から活発に行っていた。跡見学園高等学校時代には文芸部部長務め早稲田大学ではサークルワセダミステリクラブ」に名目みながら2年間所属していた。その当時作品収録した短編集として『接吻』が刊行されている。他にも『真夜中天使』や『トワイライト・サーガ』など、商業誌デビュー前書かれ作品がのちに出版された例が多くみられるまた、安部公房大江健三郎サルトル筒井康隆などを論じた卒業論文想像力構造」を、早稲田大学師事した平岡篤頼が『朝日新聞紙上激賞したことをきっかけとして、評論活動本格的に行うようになった栗本商業誌デビュー(『別冊新評 筒井康隆世界』)も、平岡一文見た同誌編集長依頼よるものである。 4歳時からピアノ習っていたこともあって、音楽への傾倒強く音楽大学への進学志した時期もあったという。早稲田大学では、音楽サークル「ハーモニカ・ソサエティ」に参加したデビュー後ハードロックバンドパンドラ」でキーボード担当していた。作曲始めたのは「パンドラ時代であり、その後開始したミュージカル創作活動では、数多く劇中曲作曲手掛けることとなったバンド活動晩年まで続けていたが、その方向性次第ジャズへと移行した1979年9月から1986年6月まで(1982年11月 - 1983年9月産休のため一時降板)、テレビクイズ番組象印クイズ ヒントでピント』(テレビ朝日)に女性軍キャプテンとしてレギュラー出演した。同番組メインである「16分割クイズにおいては、わずか2〜3枚開いただけで正解に導くことも多々あり、司会土居まさるからは「16分割の姫」と番組内言われた。 長唄小唄清元津軽三味線名取でもある。また、短歌集『花陽炎春之巻』を自費出版し、2本の歌舞伎脚本手掛けている。日常的に着物着用する着物愛好家としても知られており、着物対す愛着綴ったエッセイ着物中毒』を著している。 作品多くに「あとがき」を付しデビューからまもない一時期は、「あとがき作家」などとも名乗っていた。『グイン・サーガ正伝各巻にも必ずあとがき付されており、シリーズ初期にはキャラクター人気投票ファンレター紹介などが行われていたが、次第作者近況報告中心となっていった。 執筆時にはIBMThinkPad使っていた。 今日泊亜蘭最後SF長編我が月は緑』(『光の塔』の30年後を描いた作品)に「白百合楽劇団」を主宰する”として登場する近年栗本薫BL執筆向かったのは早大在学中遭遇した川口大三郎事件虐殺糾弾運動参加できなかった屈折執筆解決しようしたため、という説が照山もみじによって提起されている。

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人と作品

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/04 14:20 UTC 版)

真継伸彦」の記事における「人と作品」の解説

京都大学文学部独文科卒業後の1954年上京し創元社校正アルバイトに就き1955年専修大学図書館就職同人誌半世界」に「杉本克己の死」の一部発表一向一揆題材にした小説構想し執筆専念するために退職1961年から青山学院大学ドイツ語非常勤講師となる。1963年盗賊から浄土真宗帰依する男を描いた歴史小説』で文藝賞受賞。これに第二篇加えて翌年刊行、また中村錦之助主演東映映画化された。 その後芝浦工業大学勤め1967年腹膜炎の手術で休職していた間に、同じく一向一揆扱った続編無明執筆開始1968年桃山学院大学移り当時大学闘争の対応に追われながら、翌年発表。この続編華厳』や、『親鸞』など、信仰問題追求した作品が多い。 宗教小説以外代表作としては、スターリン批判とハンガリー動乱揺れるある大学共産党細胞苦悩描いた『光る聲』。実際にあった事件モデルに、党の上組織批判できない立場悲喜劇を「受難としての生命現象」として捉えている。他には『青空』、エッセー集破局予兆の前で』などがある。 高橋和巳小田実柴田翔らと同人誌人間として」、及び「使者」で活動1955年、真継豊子と結婚62年長女儲けるが、92年離婚若い女性再婚した(真継豊子『女運あれど男運なし』) 姫路獨協大学教授務めたが、定年前に解雇通告され無効求めて他の二人教授と共に提訴2005年9月勝訴した。 囲碁趣味とし、かつて行われていた文壇名人戦文壇本因坊戦などで強豪として知られプロ棋戦観戦記執筆行い囲碁に関する著作もある。 2016年8月22日急性肺炎により死去84歳没。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 08:29 UTC 版)

メレディス・モンク」の記事における「人と作品」の解説

メレディス・モンクは主に、拡張奏法Extended techniques (en) )をはじめとするヴォーカル革新知られている。それはソロ・パフォーマンスで自身アンサンブル結成以前最初に編み出された。1961年12月、「スクルージ」というオフ・ブロードウェイの子供向けミュージカルチャールズ・ディケンズクリスマス・キャロル』の翻案歌詞音楽:ノーマン・カーティス Norman Curtis演出振付:パトリシア・テイラー・カーティス Patricia Taylor Curtis )のソロ・ダンサーとして、グリニッジ・ヴィレッジアクターズ・プレイハウス出演した1964年モンクはベヴァリー・シュミット・ブロッサム (en) に学んだサラ・ローレンス大学卒業し1968年にはパフォーマンスへの多分野にまたがるアプローチ活動とする集団、ザ・ハウスを創設したモンクパフォーマンスは、1968年サンフランシスコ出会ったブルース・ナウマンをはじめ数多くアーティスト影響与えた1978年モンク新しく広範囲のヴォーカル・テクスチュアとフォーム — それはしばしミニマル楽器テクスチュア対比される — を探求するため、メレディス・モンク・アンド・ヴォーカル・アンサンブルを(スティーヴ・ライヒフィリップ・グラスといった音楽的同士類似したアンサンブルにならい)結成したモンク今日まで彼女の作品の公開続けているミネアポリスウォーカー・アート・センターとの長年の関係を開始した。この時期作品には、1981年マンフレート・アイヒャーECMレコードから発売された彼女のファースト・アルバム録音された『ドルメン・ミュージック』(1979年)がある。 1980年代には、モンクは2本の映画Ellis Island1981年)と Book of Days1988年)の脚本書き監督した後者一つアイディアから発展したECM への録音ライナーノーツ経緯語っている; 「1984年の夏のある日田舎の私の家の床を掃除していたとき、若い女の子の(モノクロの)イメージと、中世ユダヤ人コミュニティ通りイメージが(こちらもモノクロで)浮かんだ。」この作品には映画とは別の異なるバージョン存在する二つめはコンサートホールのための作品で、アルバムモンクとアイヒャーのプロデュース)は「耳のための映画」である。 1990年代初頭モンク1991年ヒューストン初演された『アトラス』というオペラ作曲した。彼女は器楽アンサンブルオーケストラのための作品作曲した最初オーケストラ作品Possible Sky2003年)で、 Stringsongs (2004年)はクロノス・クァルテット委嘱された。2005年には、パシフィック・モーツァルト・アンサンブルとともにビョークテリー・ライリーDJ スクーピー(アルバム Drums of Deathモンクサンプリングした)、ウルスラ・オッペンス、ブルース・ブルベイカー Bruce Brubaker や、新音楽のアンサンブル、アラーム・ウィル・サウンド、バン・オン・ア・カン・オールスターズが出演したカーネギー・ホールコンサートはじめとするキャリア40周年記念イベント世界中で開催された。 モンクはマッカーサー・フェローシップなど多くの賞を受賞しバード大学フィラデルフィア芸術大学ジュリアード学院サンフランシスコ芸術大学ボストン音楽院から名誉芸術博士号授与された。2007年にはデメトリオ・ストラトス・インターナショナル賞を音楽実験により受賞している 。 彼女の音楽は、コーエン兄弟(『ビッグ・リボウスキ1998年)やジャン=リュック・ゴダール(『ヌーヴェルヴァーグ1990年、『アワーミュージック2004年)などの映画使用された。 最近インタビューモンク好み音楽としてブラジル音楽、特にカエターノ・ヴェローゾ録音、ミルドレッド・ベイリー(「30年代40年代」の偉大なジャズ歌手)の音楽バルトークピアノ曲集ミクロコスモス』と発言している。 彼女のパートナーオランダ生まれ振付家ミーケ・ヴァン・フック Mieke van Hoek だった(2002年死去)。

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