音楽への傾倒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 03:29 UTC 版)
「ジミ・ヘンドリックス」の記事における「音楽への傾倒」の解説
多くのブルースやロックのミュージシャンと同様、ヘンドリックスもレコードなどを聴いて、独学でギター演奏を学んだ (父アルの談話)。父親のアルは庭師の仕事をしていたが生活は貧しかった。ヘンドリックスが15歳の頃、ギターに興味を示したため、父アルは、当時のアパートの家主の息子からアコースティック・ギターを5ドルで買い取り、ヘンドリックスに与えた。その後、シアトルの楽器店から初めてエレクトリック・ギターを購入している (父アルの談話)。ヘンドリックスは、ブルースや R&B、ロックンロールのレコードを聴き練習する一方、テレビのアニメーション作品などの効果音 (BGM) も熱心にコピーしていたという (ヘンドリックスの幼なじみの談話)。 青年期のヘンドリックスは、アマチュア・バンドで経験を積み、全米ナンバー・ワンバンドの座を得たこともあったという (父アルの談話)。 しかし、自動車窃盗の罪で1961年5月2日に逮捕された。その際、投獄されるのを回避するため陸軍に志願して入隊し、精鋭部隊・第101空挺師団へ配属された。共に軍役についていた仲間の中に、後のバンド・オブ・ジプシーズを組むベーシストのビリー・コックスがおり、軍隊内のクラブハウスで一緒に演奏することもあった。当時はベトナム戦争が開戦したばかりの時期で、ヘンドリックスはベトナムの戦地に行っていないが、この従軍の経験がウッドストック・フェスティバルでの「星条旗 (アメリカ国歌)」の演奏や、バンド・オブ・ジプシーズの「マシン・ガン」の創作につながったと言われている。 やがてヘンドリックスは陸軍を除隊。イギリス人の音楽記者クリス・ウェルチが70年代初めに著した伝記などでは、「パラシュートの降下訓練で負傷したために軍隊を除隊になった」という説明がなされている。2005年にアメリカ国内で公表された軍内部の記録によると、「薬物とギターにしか興味を示さない隊内部の劣等兵」で、常に隊の規律を乱して問題視されていた。ヘンドリックスは、早期に軍役を終えて音楽活動に移ろうと、軍隊で忌み嫌われる同性愛者を装う等、故意に問題を起こしていたという説もある。最終階級は三等軍曹。 除隊後に本格的な音楽活動を始めるが、当時は無名のバックミュージシャンだった。アイク & ティナ・ターナーやアイズレー・ブラザーズなど、数々の有名ミュージシャンのバックでプレイし、全米各地へのツアーにも同行していた。一時期はリトル・リチャードのツアーにバックメンバーで参加した。
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