ユダヤ音楽への傾倒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 20:54 UTC 版)
「ドミートリイ・ショスタコーヴィチ」の記事における「ユダヤ音楽への傾倒」の解説
ショスタコーヴィチの作曲家としての「ユダヤの音楽」への関心が明らかな最初の作品は ピアノ三重奏曲第2番 (1944年)といわれていた。もちろんショスタコーヴィチはユダヤ人ではなかったが、マーラーへの興味をはじめとし、1936年には、プラウダ批判によって、自分の悲運をユダヤ人のそれに沿って象徴するものと考えるようになった。1937年の交響曲第5番第3楽章にはユダヤ音楽の要素が表れ、それは交響曲第3番(1929年)からのユダヤ教会での典礼の詠唱の旋律の引用でもある。また交響曲第7番(1941年)第1楽章のクライマックスなどにはクレズマー旋律が使われている。音楽院の愛弟子でレニングラード攻防戦で戦死したユダヤ人、ヴェニアミーン・フレーイシュマンの未完のオペラ『ロスチャイルドのヴァイオリン』の補作(1944)を行ったこともある。作品にユダヤ音楽の主題が使われているのは歌曲集『ユダヤの民族詩から』(1948年)、 ヴァイオリン協奏曲第1番(1948年)、弦楽四重奏曲第4番(1949年)、24の前奏曲とフーガ(1951年)、プーシキンの詩による4つのモノローグ(1952年)である。 ピアノ協奏曲第2番(1957年)第2楽章や交響曲第9番(1945年)フィナーレの後半には、ユダヤ人には「それ」としてハッキリ分かる形でユダヤ音楽が引用されているという。弦楽四重奏曲第8番(1960年)には、ピアノ三重奏曲第2番最終楽章のユダヤ旋律が明瞭に引用されている。その他の作品では交響曲第13番 (1962年)、また 交響曲第15番 (1971年)最終楽章での交響曲第7番の引用にユダヤ音楽のテーマを見出せる。 ショスタコーヴィチの周りには、例えば親しい友人に作曲家のミェチスワフ・ヴァインベルク、俳優ソロモン・ミホエルスなどユダヤ人は多かったし、このほかオーケストラの団員にもユダヤ系は多かった。
※この「ユダヤ音楽への傾倒」の解説は、「ドミートリイ・ショスタコーヴィチ」の解説の一部です。
「ユダヤ音楽への傾倒」を含む「ドミートリイ・ショスタコーヴィチ」の記事については、「ドミートリイ・ショスタコーヴィチ」の概要を参照ください。
- ユダヤ音楽への傾倒のページへのリンク