ユダヤ金融業とユダヤ人の法的規制
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「反ユダヤ主義」の記事における「ユダヤ金融業とユダヤ人の法的規制」の解説
ユダヤ人が金貸し業をはじめる前は、キリスト教修道院や教会管区(シュティフト)が営んでおり、はじめは困った人々の支援から始まった金貸しは、やがて修道院金融業としてが大々的に発展していった。フランシスコ修道院では年利4〜10%を受けるほどであった。これに対して、13世紀の修道院改革で、キリスト教徒間の利息をともなう金の貸し借りが厳格に禁止された。 12世紀に、教会はユダヤ人の土地取得にともなう十分の一税の補填を要求したため、ユダヤ人は土地を手放すようになり、また都市同業組織はキリスト教兄弟団の性格もあり、手工業はユダヤ共同体内部にとどまった。 こうしたことを背景に、ユダヤ人は金融に特化していった。利子つきの金融をカトリックでは禁止しており、またユダヤ教でも「あなたが、共におるわたしの民の貧しい者に金を貸す時は、これに対して金貸しのようになってはならない。これから利子を取ってはならない。」(出エジプト記22-25)や戒律で禁止されていたが、ユダヤ教の場合は異教徒への金融は許されていた。 ユダヤ金融の利子は3割から4割にも及んだので、多くの債務者は担保物件を失った。こうしてユダヤ人金融業への敵意が増大していった。第2回十字軍を勧進して回ったクレルヴォーのベルナルドゥスは、金貸し業はユダヤ人の本業(ユダイツァーレ)であるとした。 フランス王フィリップ2世(在位:1180年 - 1223年)は1180年にフランス王国内のユダヤ人を逮捕し、身代金と引き換えに釈放し、さらにキリスト教徒の借金を帳消しにし、負債額の2割を国庫に収めさせた。翌1181年にはユダヤ人の債権の5分の1を王のものとし、残りを破棄させ、1182年税を支払えないユダヤ人を王領から追放し、ヨーロッパで行われた最初の組織的なユダヤ人追放となった。しかし、1196年にはユダヤ人を王領へ呼び戻した。 ルイ9世(在位:1226年 - 1270年)は証文作成や賃借記録提示を義務化などユダヤ金融業を規制し、1254年に十字軍から帰還するとユダヤ人を金融業から追放する勅令を出した。1235年、ノルマンディーでユダヤ人金融業が禁止され、ヨーロッパ初の行政権によるユダヤ人金融業禁止令となった。フィリップ4世(在位:1285年 - 1314年)もユダヤ金融を規制した。12世紀末から13世紀初めには、フランス領主が、ユダヤ人を相互に返還する取り決めをしていた。 ヘンリー2世(在位:1154年 - 1189年)のイングランドには、1096年の十字軍によるヨーロッパでの放逐から逃れてきたユダヤ人移民が多く住み着き、高利貸、医者、金細工師、兵士、商人などの職業に就いた。ユダヤ人商人は、財務代理人、国王代理人としてイングランド王にたえず貸付を行ったが、ユダヤ人商人の死後、その財産はイギリス王室帰属となった。このようにイギリスではユダヤ人商人は「王の動産」であり、またユダヤ人は自治上の特権と引き換えに特別税を上納した。ユダヤ人の貸付利子は年44.33%という高率であったため、債務者からは怨嗟の的となった。 12世紀末のイングランド財務裁判所にユダヤ財務局(Exchequer of the Jews)が作られ、ユダヤ人金融業が法規制の下におかれ、取引書類は王室官吏立会で行われるようになった。イングランドのユダヤ人は金融業を営み、王侯の付き人として特殊な封臣となっていた。 しかし1210年、ジョン欠地王在位:1199年 - 1216年)はユダヤ人に法外な納税額を請求し、支払えなかったブリストルのユダヤ商人を幽閉し、歯を抜いて処刑した。ジョン欠地王はユダヤ人を庇護したが財政が悪化すると、ユダヤ人に1万マークの罰金を課し、完済するまで抜歯されたり、目をえぐられたりした。マグナ・カルタの10・11条ではユダヤ人に債務を負う者の死後の弁済に配慮され、ユダヤ人高利貸しには不利なものであった。 中世ドイツのユダヤ金貸し業の金利年場所年利1244年ウィーン 174% 1255年ライン都市同盟 最高金利年33.3%、週単位の短期貸付の最高年利43.3% 1270年ミンデン 86.7% 1273年ケルン 78.3% 1276年アウグスブルク 86.7% 1338年フランクフルト 32.5〜43.3% 1342年シュヴェービシュハール 43.3% 1346年トリエル 43.3% 1350年ブレスラウ 25% 1391年ニュルンベルク 10-13.5%〜21.7% 1392年レーゲンスブルク 43.3%〜86.7% このように高い利息によってユダヤ人金貸し業は営まれていたが、やがて世間ではユダヤ人の家には暴利をむさぼる搾取によって不正な財産があり、それは取り返してもよいとするユダヤ人財産略奪の思想が形成されていった。1247年には、ユダヤ人から、諸侯や聖職者が財産や金品を不当に奪い取るという訴えがあった。中世から19世紀までのドイツでのユダヤ地区への略奪は、このような高利貸し業像を源としている。
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