ユダ王国の滅亡まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 15:08 UTC 版)
大洪水によって人類は、ノアとその一族の計8人から再出発した。第2期は彼らとその子孫を物語る。3人の息子は、セムがアジア人、ハムがアフリカ人、ヤペテがヨーロッパ人の先祖となる。これに続いて、彼らの子孫の名と、ノア・セムからアブラハムに至るまでの子を得た時の家父長の年齢が記載され、大洪水前と同様に年数を計算できる(第10-11章)。この他にも、セムの子孫でアッシリア人の始祖となったアシュル、ハムの子孫でエジプト人の始祖ミツライムやバベルの塔を建設した最初の君主ニムロデなどが登場する。これらの部分は「民族表」と呼ばれ、原典が作成された紀元前600年頃にユダヤ人が知りえた周辺の民族名リストが元になったとされている。 セムの子孫アブラハムは神の召命を受け、ヘブライ人の祖となる。彼の孫ヤコブはヤボク川で神に勝利し「イスラエル」の名を与えられる。「創世記」にはこの後、ヨセフのエジプト宰相就任、イスラエル人のエジプト移住までが描かれる。 続く「出エジプト記」以後の「モーセ五書」ではモーセが率いたエジプト脱出と十戒を授かるまでが描かれ、「歴史書」ではカナンの地でのイスラエル王国創立からユダ王国の分裂、それぞれがアッシリア人とカルデア人(新バビロニア)によって滅ぼされるまでが記されている。バビロン捕囚が起こり、ユダ王国のゼデキア王11年にエルサレム神殿が破壊された年を以って、この第2期は終わる。 これらの箇所には、ヘブライ人の歴史を主軸に、周辺たるエジプト・アッシリア・カルデアといった民族との間に起こった事件が描かれている。しかし周辺民族についての記述は断片的に止まり、例えばアッシリアは始祖アシュル以後長い空白を経て、プル王(ティグラト・ピレセル3世)以降また記述されている。後に普遍史は、これら周辺国家の歴史記述との整合性に悩まされる事になる。
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