ユダ王国時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/11 16:30 UTC 版)
ラキシュは、パレスチナ分割相続の際にユダ族の相続地になった。ソロモンの死後、イスラエル王国は分裂して、南パレスチナにはレハブアムを初代国王とするユダ王国が成立した。レハブアムはラキシュを含む都市の防備を固めた。 ユダ王国のアマツヤ王は、エルサレムで謀反があった時にラキシュに逃れたが、追手により殺害された。 ユダ王国のヒゼキヤ王の時代、ラキシュはアッシリアの王センナケリブが率いるアッシリア軍に包囲され、アッシリア軍の拠点となったが、その後アッシリア軍はリブナを攻めるために退去した。 ユダ王国のゼデキヤ王はエジプトと新バビロニアの板ばさみになった挙句、和平交渉に失敗した。この結果、新バビロニアのネブカドネザル2世は、ユダ王国に遠征して全域を制圧した。ラキシュとアゼカのみが最後まで抵抗したが、前586年に陥落して破壊しつくされた。この後、ユダ王国の住人は新バビロニアへと移住させられた(バビロン捕囚)。
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