音楽への目覚めとは? わかりやすく解説

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音楽への目覚め

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 17:14 UTC 版)

武満徹」の記事における「音楽への目覚め」の解説

音楽家なりたい自覚したのは、終戦が近い時期勤労動員行ったころで、1年間ほどを兵隊と暮らすが、見習士官学徒出陣兵隊に、半地下のような宿舎内緒で聴かされたシャンソンレコードに非常に感動し学校へ行く気をなくし何としても音楽やりたい考えるようになるクラシック音楽の道を選んだのは前述従兄影響であった最初サラリーマン志していたが、教練点数が最低で「可」であったため、上級学級には進学できず、大学進学あきらめ同時に会社員あきらめた終戦後進駐軍ラジオ放送通してフランクドビュッシーなど、近代フランス作曲家作品親し一方で横浜アメリカ軍キャンプ働きジャズ接した。やがて音楽家になる決意固め清瀬保二作曲師事するが、ほとんど独学であった京華中学校卒業後、1949年東京音楽学校この年5月から東京芸術大学作曲科受験科目演奏には最も簡単なショパンの「プレリュード」を選び、妹の下駄突っかけ試験会場出向いたが、控室網走から来た熊田という天才少年(後に自殺)と意気投合し、「作曲をするのに学校だの教育だの無関係だろう」との結論達し2日目試験欠席し上野松坂シネマで『二重生活』を観て過ごした。この時期作品としては清瀬保二献呈された「ロマンス」(1949年作曲者死後の1998年初演)のほか、遺品から発見された「二つメロディ」(1948年、第1曲のみ完成)などのピアノ曲存在するデビュー以前ピアノを買う金がなく、本郷から日暮里にかけて街を歩いていてピアノの音が聞こえると、そこへ出向いてピアノを弾かせてもらっていたという。武満は「1軒もことわられなかったから、よほど運がよかったのだ」と言っているが、ときどき同行した友人福島和夫によると、最初確かに貸してくれたが、何度も続くと必ず「もう来ないで下さい」と断られたという。のち、芥川也寸志を介してそれを知った黛敏郎は、武満面識はなかったにかかわらず、妻のピアノプレゼントした

※この「音楽への目覚め」の解説は、「武満徹」の解説の一部です。
「音楽への目覚め」を含む「武満徹」の記事については、「武満徹」の概要を参照ください。

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