板倉聖宣とは? わかりやすく解説

板倉聖宣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/27 23:29 UTC 版)

板倉 聖宣(いたくら きよのぶ、1930年昭和5年〉5月2日[1] - 2018年平成30年〉2月7日[2][3])は、科学史教育学、理科教育史を専門とする日本の研究者。主な業績は「科学的認識の成立条件」の発見、仮説実験的認識論の発見と仮説実験授業による具体化と実証によって「授業の科学的研究」を確立した。仮説実験授業研究会設立による「たのしい授業学派」の確立など。東京大学理学博士[4]。「仮説実験授業」の提唱者で、「いたずら博士」として科学啓発書を中心に多数の著書を執筆した[1]国立教育研究所 物理教育推進室長[6]仮説実験授業研究会 代表[6]、(私立)板倉研究室 室長[1]日本科学史学会 会長を歴任[7]。『ひと』(太郎次郎社)や『たのしい授業』(仮説社)の創刊にも貢献[1][3]。『増補日本理科教育史』でパピルス賞を受賞し[1]、没後の2019年には英訳論文精選集『Hypothesis-experiment class (Kasetsu)』が出版されている[8]


注釈

  1. ^ a b c 博士課程の修了は1958年9月とされている出典もあるが[1]、博士論文は1958年11月14日付けになっており[4]、1958年12月が正しい。[13][14]学位記の発行日は昭和33年(1958年)12月1日である。
  2. ^ アメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)の人々が中心になって作成した「PSSC(Physical Science Study Committee)物理」(1961)である。科学教育の現代化の試みとして高校物理の教育用に作成されたもの。従来の古典物理の教材を大幅に削除し、最初から原子物理学的な観点を大胆に導入した[16]
  3. ^ 2011年の教育心理学会の特別講演では、国立教育政策研究所名誉所員、仮説実験授業研究会代表という肩書であった[29]
  4. ^ 例えば18世紀のイギリスの科学講座巡回講師ファーガソンは1748年から科学講座をイギリス各地で行い、6週間の講座で1000ポンドを稼ぐことができている。彼は各地の科学好きな人びとに迎えられ、それぞれ2~3週間の科学講座で十分な生活費を得られるほどにイギリスでは科学講座の需要があった[31]。またロンドンの民間研究施設である王認研究所(Royal Institution)では、1801年に化学教授としてハンフリー・デービーが就任し、その科学講座は庶民には高価なチケットだったが、裕福な紳士や貴婦人をはじめ科学好きな市民に人気があって大盛況であった。デービーの後任のマイケル・ファラデーも同様の科学講座で人気を博し、王認研究所の財政を支える事ができるほどの科学講座の需要があった[32]。またデザギュリエは1739年から1744年までの間ロンドン中心部のコーヒーハウスで実験科学の連続講座を開いた[33]。受講料は物理学と天文学の講座が2ギニー半(約5万円)だった[34]。当時参加した聴衆は「この講座にはほとんどすべての外国から高官たちが集まっている。この講座に参加するためにだ。」とその人気ぶりを語っている[34]。松野はこのような状況について「かつて科学実験は王認学会(Royal Society)の会員しか見ることができなかった代物だが、こうして多くの人びとが参加できるようになった」と述べている[34]。当時の参加者の一人ビールフェルトはその気持ちを「正直に言うが、この講座に参加していると言葉にできないほどの喜びを感じる」とデザギュリエの科学講座の楽しさを書き残している[34]
  5. ^ a b 高橋 2018には2015年と書かれているが、板倉研究室の私的サイトおよび近親者の証言によれば2016年7月10日に杏林大学病院に救急搬送され[36]、8月23日にリハビリ専門医のいる多摩川病院に転院[37]、10月14日に退院し介護付き老人ホームに入居した[38]
  6. ^ エルンスト・マッハに始まる実証主義的認識論の立場をいう。物質や精神を実体とする考えに強く反対し、科学の目的は観察された事実を記述することのみにあるとし、仮想的原子などを考えることは全く非科学的であると主張した[44]
  7. ^ 到達目標と方向目標という概念は1966年(昭和41年)の日本教育心理学会のシンポジウムで板倉が初めて提出した概念である。その概念は中内敏夫(当時お茶の水大学)と坂元忠芳(当時国民教育研究所)が受け継いでから、かなり広く知られるようになった(板倉 1987, p. 38)。
  8. ^ 共著者 - 板倉聖宣、サマーズ K. M.、渡辺愈。
  9. ^ 共著者 - 南武雄、森喜義、板倉聖宣、吉岡一郎、樋口伸吾、倉石精一。
  10. ^ 共著者 - 三上勝夫、佐伯胖、板倉聖宣、田中耕治稲垣忠彦、大津和子。
  11. ^ 共著者 - 三枝孝弘三好信浩、板倉聖宣、西之園晴夫、中村桂子鈴木秀一
  12. ^ テレビアニメタイムトラベル少女〜マリ・ワカと8人の科学者たち〜」の原典となった書籍[89][90]
  13. ^ 蒲生諒太 編著、大野照文 監修による講演録。講演者 - 寺脇研、荒瀬克己、川上紳一、飯澤功、板倉聖宣、市川光太郎、大野照文(NCID BB19531808参照)。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 著者等紹介”. 紀伊國屋書店ウェブストア. 紀伊国屋書店. 2020年1月2日閲覧。
  2. ^ a b c d e たのしい授業編集部「「ぼくが死んだらお祝いしてね」―緊急特集にあたって」『たのしい授業』2018年3月号、仮説社、5頁。
  3. ^ a b c d e 高橋 2018.
  4. ^ a b c d 博士論文 1958.
  5. ^ 板倉は「「私は,小倉金之助、三浦つとむ、武谷三男の3人の先生に最も強く影響された」と言ってきましたが、それに負けず劣らず大谷真一先生の発想に学んでいるように思います」と述べている。(板倉聖宣「あとがき」『日本における科学研究の萌芽と挫折』仮説社、1990年、306-310頁)
  6. ^ a b c d e f g 板倉聖宣”. 著者一覧. 太郎次郎社エディタス. 2020年1月1日閲覧。
  7. ^ a b c 歴代会長”. 日本科学史学会 (2019年). 2019年12月31日閲覧。
  8. ^ a b c 小林眞理子「板倉聖宣著 仮説実験授業提唱の原著論文英訳選集」『物理教育通信』第176巻、2019年、22-24頁。
  9. ^ 伝記風の自伝 2018, p. 6.
  10. ^ a b c d 庄司 1977, p. 216.
  11. ^ a b 伝記風の自伝 2018, p. 7.
  12. ^ a b c d e f g h i j k l 庄司 1977, p. 217.
  13. ^ a b c d 板倉 1987, p. 92.
  14. ^ 伝記風の自伝 2018, p. 9.
  15. ^ a b c 庄司 1977, p. 218.
  16. ^ PSSC物理”. コトバンク. 2020年1月1日閲覧。
  17. ^ 森一夫、出野務「再びニュートンの質量概念とその定義をめぐって ― 質量的物質観の形成(研究ノート)」『科学史研究』第II期第15巻第120号、1976年12月、196-199頁、NAID 110009699631
  18. ^ 渡辺正雄「ニュートンの質量概念 板倉聖宣氏の批判に答えて」『科学史研究』第II期、第84号、1967年10月、191-194頁、NAID 40018650068
  19. ^ 板倉 1987, pp. 102–127.
  20. ^ 板倉 1987, p. 91.
  21. ^ 板倉 1987, pp. 102–106.
  22. ^ 板倉 1987, p. 106-109.
  23. ^ 板倉 1987, p. 119.
  24. ^ 板倉 1987, p. 127.
  25. ^ 板倉 1987, まえがき.
  26. ^ 板倉 1987, p. 150.
  27. ^ a b c d 宗田一「板倉聖宣, 『模倣の時代』上・下, 仮説社, 東京, 1988年, A5版, 上442pp., 下620pp., 上2800円, 下3200円 / 板倉聖宣編, 『脚気の歴史-資料・文献年表-』, つばさ書房, 西尾, 1988年, B5版, 170pp., 2000円」『科学史研究』第II期第27巻第167号、1988年12月、190-191頁、NAID 110009700242
  28. ^ 板倉・中垣 2011, p. 9.
  29. ^ a b 板倉・中垣 2011.
  30. ^ 板倉聖宣「サイエンス・シアター運動の構想 ぼくらはガリレオ・わたしもファラデー」『たのしい授業』第147巻、仮説社、1994年、5-19頁。
  31. ^ 板倉 1991.
  32. ^ 井上 1995.
  33. ^ 松野 2017, p. 14.
  34. ^ a b c d 松野 2017, p. 15.
  35. ^ 板倉玲子「はてしない幸福の連続でした」『たのしい授業』2018年4月号、47頁(2018年2月14-15日に開催された「おわかれ会」での喪主挨拶。なおタイトルは板倉本人が書いた「遺書」の一節だった)。
  36. ^ 最近の室長”. 板研情報局. (2016年8月2日) 2020年1月3日閲覧。
  37. ^ 転院のお知らせ”. 板研情報局. (2016年8月22日) 2019年1月3日閲覧。
  38. ^ 室長、退院+即入所”. 板研情報局. (2016年10月14日) 2019年1月3日閲覧。
  39. ^ 【産経抄】残念ながら教育にはノーベル賞がない2月16日”. 産経新聞 (2018年2月16日) 2019年12月31日閲覧。
  40. ^ 板倉 1987, p. 94.
  41. ^ 唐木田 1995b, p. 24.
  42. ^ 唐木田 1995a, p. 15.
  43. ^ 唐木田 1995b, pp. 24–29.
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  45. ^ 唐木田 1995b, p. 36.
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  50. ^ 板倉 1997, p. 10.
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  52. ^ 板倉 1997, pp. 10–11.
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  54. ^ 板倉聖宣『模倣の時代 下』仮説社、1988年、ISBN 978-4773500769全国書誌番号:89022830
  55. ^ a b 板倉 1997, p. 12.
  56. ^ a b 板倉 1997, p. 18.
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  59. ^ a b c 滝奈津子、北林雅洋「「板倉聖宣が「たのしい」と「わかる」を対立させた意図と授業書」」『日本理科教育学会四国支部会報』第25巻、日本理科教育学会四国支部、2017年、19-20頁、NDLJP:10409164
  60. ^ 板倉 1988, pp. 38–39.
  61. ^ 板倉 1988, pp. 40–41.
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  77. ^ a b c d e f g 塚本・上北・熊谷 2016, p. 31.
  78. ^ 塚本・上北・熊谷 2016, p. 30.
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  81. ^ a b c 塚本・上北・熊谷 2016, p. 33.
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  84. ^ a b c d 塚本 2019, p. 68.
  85. ^ a b c 塚本 2019, p. 69.
  86. ^ a b 塚本 2019, p. 70.
  87. ^ 広重徹「板倉聖宣,木村東作,八木江里「長岡半太郎伝」」『科学史研究』第II期第13巻第110号、1974年6月、91-94頁。
  88. ^ 前田知洋 (2012年11月23日).“iPhoneやAndroid、モバイル機器の重さの秘密”. ASCII.jp×ビジネス. 2019年1月2日閲覧。
  89. ^ 歴史上の科学者がイケメンになって登場!「タイムトラベル少女」7月9日放送スタート”. 映画.com. (2016年6月20日) 2019年1月2日閲覧。
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  91. ^ 石山洋「板倉聖宣, 『かわりだねの科学者たち』, 仮説社, 1987年10月, iv+410pp., A5版, 3200円」『科学史研究』第II期第27巻第167号、1988年12月、185-186頁、NAID 110009700238
  92. ^ 山田大隆「「日本における科学研究の萌芽と挫折--近代日本科学史の謎解き」板倉聖宣,中村邦光,板倉玲子」『科学史研究』第30巻第179号、1991年10月、196-198頁、NAID 110006439115
  93. ^ 菅原国香「紹介 板倉聖宣『科学者伝記小事典』」『科学史研究』第II期第40巻第218号、2001年、118-120頁、NAID 110006439168
  94. ^ 中村邦光「板倉聖宣著, 『科学と科学教育の源流……いたずら博士の科学史学入門』, 仮説社, 2000年1月15日, 300頁, 2300円(税別)(紹介)」『科学史研究』第II期第39巻第213号、2000年3月、61-63頁、NAID 110006439115
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  96. ^ 山岸悦子「わたしもファラデーたのしい科学の発見物語, 板倉聖宣著, 仮説社, 本文187頁, 1,800円+税 ISBN 4-7735-0175-8(書評・推薦図書)」『化学と教育』第52巻第12号、2004年、819頁。
  97. ^ 中村邦光「紹介 板倉聖宣『原子論の歴史 上下』」『科学史研究』第II期第44巻第234号、2005年、124-126頁、NAID 110006439636
  98. ^ 『発明発見物語全集~磁石と電気の発明発見物語』を題材とするTVアニメ『タイムトラベル少女~マリ・ワカと8人の科学者たち~』が7月9日(土)より放送開始 | moca-モカ-”. moca-news.net. 2023年3月8日閲覧。



板倉聖宣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 21:13 UTC 版)

仮説社」の記事における「板倉聖宣」の解説

1983年創刊から2018年2月死去まで『たのしい授業』編集代表務めた詳細は「板倉聖宣」を参照没後には 『板倉聖宣の考え方授業科学人生 ―』板倉聖宣、犬塚清和小原茂共著2018年8月ISBN 9784773502886。 『板倉聖宣とその時代〈第1巻東京下町少年』重弘忠晴 著、2019年7月ISBN 9784773502985。 といった書籍仮説社から刊行されている。

※この「板倉聖宣」の解説は、「仮説社」の解説の一部です。
「板倉聖宣」を含む「仮説社」の記事については、「仮説社」の概要を参照ください。


板倉聖宣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 08:28 UTC 版)

キミ子方式」の記事における「板倉聖宣」の解説

「板倉聖宣」も参照 1930年東京生まれる。2018年2月死去日本科学史家、科学教育研究家1963年科学教育理論仮説実験授業」を提唱した1978年松本キミ子出会い、その指導法高く評価して仮説実験授業研究会紹介し普及させた。

※この「板倉聖宣」の解説は、「キミ子方式」の解説の一部です。
「板倉聖宣」を含む「キミ子方式」の記事については、「キミ子方式」の概要を参照ください。


板倉聖宣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 10:27 UTC 版)

仮説実験授業研究会」の記事における「板倉聖宣」の解説

詳細人物記事「板倉聖宣」を参照

※この「板倉聖宣」の解説は、「仮説実験授業研究会」の解説の一部です。
「板倉聖宣」を含む「仮説実験授業研究会」の記事については、「仮説実験授業研究会」の概要を参照ください。

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