到達目標
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/18 10:10 UTC 版)
到達目標(とうたつもくひょう)とは、教育学上の概念で、「どうしてもこれだけは知っていなければならないもの」[1]をさす。1966年に板倉聖宣が教育目標と学力評価の関連を考慮する際に、「方向目標」とともに用いたのが最初である[2][注 1]。
- ^ 1966年の日本教育心理学会シンポジウムの「正しい学力評価のあり方」において、板倉聖宣が教育目標を方向目標と到達目標に分けたのが最初である[2]。
- ^ 到達目標設定には、たとえば「10までの数がわかる」「2桁の足し算が分かった」など[5]。
- ^ たとえば「あいうえおが書ける」とか「漢字が書ける」とか、「足し算ができる」とかいうようなことが教えられないとなれば、これは教師失格となる[8]。
- ^ 板倉聖宣の提唱した仮説実験授業では、到達目標は十分達成される[9]。
- ^ たとえば学習指導要領などで統一した教育内容を押しつけると、教育の自由度が狭くなり、到達目標が具体的手段がないまま「たてまえ」として要求され、教育が苦しいものになる[10]。
- ^ 「学習への興味を起こさせる」とか「のびのびとした作品を作らせる」など[11]。
- ^ 子供の成績が正規分布になるには、「その子供ができるのもできないのも、全く偶然によって決まる」というテスト問題を出すか、デタラメな教育をするしかない[15]。
- ^ a b 板倉聖宣 1969, p. 339.
- ^ a b 村越邦男 1977, p. 29.
- ^ a b c 板倉聖宣 1969, p. 342.
- ^ 板倉聖宣 1969a, p. 346.
- ^ 坂元忠芳 1977, p. 11.
- ^ 坂元忠芳 1977, p. 7.
- ^ 板倉聖宣 1969, pp. 341–342.
- ^ 板倉聖宣 1969, p. 340.
- ^ 板倉聖宣 1969a, pp. 357–358.
- ^ 板倉ほか 1977, p. 26.
- ^ 坂元忠芳 1977, p. 9.
- ^ 板倉聖宣 1969a, pp. 346–347.
- ^ 板倉聖宣 1969a, p. 347.
- ^ 板倉聖宣 1969, pp. 342–343.
- ^ a b 板倉聖宣 1976, p. 62.
- ^ 板倉聖宣 1969a, p. 357.
- ^ a b 村越邦男 1977, p. 30.
- ^ “Japanese Pronunciation for Communication” (英語). edX. 2022年7月17日閲覧。
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