仮説実験的認識論とは? わかりやすく解説

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仮説実験的認識論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/06 11:13 UTC 版)

仮説実験的認識論(かせつじっけんてきにんしきろん)とは、「法則的認識は仮説を実験[注 1]的に検証することによってのみ行われる」という命題で表現された認識論[2]で科学史家の板倉聖宣が自身の科学史と科学教育研究の過程で命名した認識論である。板倉は仮説実験的認識論は科学のみならず、教育や日常的な認識でも同時に成り立つと、科学以外にも適用できるとしている。


  1. ^ 板倉の言う実験は「対象に目的意識的に問いかけること」を意味する。目的意識的になるには仮説を持って、予想しなければならない[1]
  2. ^ ハーシェルと朝食を共にするほどの友人で、チャールズ・ダーウィンの学生時代に鉱物学、道徳哲学を教えた[12]
  3. ^ ところがデューイはこの主張を1933年の増補改訂版でなぜか削除してしまった。この改訂はデューイの認識論についての理解を困難にし、誤解を招く結果となった[19]
  4. ^ 当時は明石女子師範学校付属小学校の校長で大正新教育運動の中心的な学校の一つだった[21]
  5. ^ 当時は奈良女子高等師範学校訓導。『創造教育の理論及び実際』の中で創造教育の要訣として「児童の個性を尊重しその人格を認めよ」と主張し、誤謬・曲解・偏見といったものこそが創造の契機となると主張した。[24]
  6. ^ 当時奈良女子高等師範学校教諭兼教授兼訓導。問題→結論の予想→計画→実験→検証へと進む五段階の教育法を「新学習過程」として提案した。その授業はクラス共通の問題について各個人が実験・考察を進める。しかし、彼は問題の選び方は教師一人一人の行うべき仕事としたため、実際にはなかなか適切な問題選択ができずに、期待されたような効果は上げられなかった[25]
  7. ^ Peter Harold Nidditch,(1928-1983)はイギリスシェフィールド大学の哲学部長教授[13]
  8. ^ 脚気は西洋では知られていない病気だったので、西洋科学を真似して解決できる問題ではなかった。明治以降、日本のエリートは西洋科学の模倣には優秀な秀才たちだったが、模倣では解けない問題には全く創造性を発揮できなかった。当時、脚気を克服できたのは「麦飯が脚気に効くのは本当かもしれない」という、当時の医学者の主流(主に東大医学部)からみたらとんでもない発想(予想)ができた、現場の医師・堀内利国都築甚之助などだった[30]
  9. ^ ダーウィンはハーシェルとヒューウェルの著作によく通じており、ともに偉大な科学者として尊敬していたが、彼らの『種の起源』への反応はきわめて厳しかった[32]
  10. ^ 数学教師で成功し、教え子にはケルヴィン卿マクスウェルがいる[33]
  11. ^ 1957年12月提出の博士論文。板倉はこの論文で大胆な仮説を立てて、古典力学、電磁気学の発展過程に共通する「科学的認識の成立条件」を引き出して、自身の科学史研究を「仮説実験的に」展開している。(『科学の形成と論理』1973、季節社、に収録)
  12. ^ この広重の言葉からも板倉の科学方法論は仮説実験的認識論として、博士論文に現れていることがわかる。
  1. ^ 板倉聖宣 1969b, p. 203.
  2. ^ 渡辺規夫 2021, p. 328.
  3. ^ a b 多久和俊明 2019b, p. 80.
  4. ^ 板倉聖宣 1973, pp. 63–100.
  5. ^ 唐木田健一 1995, pp. 15–24.
  6. ^ 渡辺規夫 2019, pp. 75–76.
  7. ^ 井藤伸比古 2021, p. 13.
  8. ^ a b 井藤伸比古 2021, p. 15.
  9. ^ 板倉聖宣 1969, p. 3.
  10. ^ a b 井藤伸比古 2021, p. 3.
  11. ^ a b c 井藤伸比古 2021, p. 5.
  12. ^ a b c 井藤伸比古 2021, p. 7.
  13. ^ a b c d e 井藤伸比古 2021, p. 10.
  14. ^ 小野健司 2008.
  15. ^ a b c 井藤伸比古 2021, p. 6.
  16. ^ a b c d 小野健司 2008, p. 41.
  17. ^ 小野健司 2008, p. 35.
  18. ^ a b 小野健司 2007, p. 84.
  19. ^ 小野健司 2007, p. 84-5.
  20. ^ 小野健司 2007, p. 83.
  21. ^ 小野健司 2007, p. 77.
  22. ^ a b c 小野健司 2007, p. 78.
  23. ^ 板倉聖宣 2009, p. 318-320.
  24. ^ 板倉聖宣 2009, p. 320-321.
  25. ^ 板倉聖宣 2009, p. 326-327.
  26. ^ a b 小野健司 2008, p. 42.
  27. ^ Nidditch 1968, p. 4.
  28. ^ a b c 井藤伸比古 2021, p. 11.
  29. ^ 守屋明佳 2015, p. 234.
  30. ^ 板倉聖宣 1988, pp. 560–561.
  31. ^ a b 井藤伸比古 2021, p. 12.
  32. ^ 内井惣七 1979, p. 15.
  33. ^ 内井惣七 1979, p. 16.
  34. ^ 内井惣七 1979, p. 17.
  35. ^ a b c 広重徹 1959, p. 8.
  36. ^ a b 板倉聖宣 1973b, p. 246.
  37. ^ 板倉聖宣 1973b, p. 247.
  38. ^ ファインマン 2007, p. 29.


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