仮説演繹法との違い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 21:12 UTC 版)
「仮説実験的認識論」の記事における「仮説演繹法との違い」の解説
ハーシェルらの科学的方法は「仮説演繹法」と呼ばれ、ペーター・ハロルド・ニディチは次の5つの段階としている。 観察 問題を鮮明にする 仮説を立てる 実験 理論の定式化 それに対して、板倉聖宣は科学の過程を次の4段階としている。 大いなる空想をともなう仮説(主体的) 討論・実験 大衆のものとなる 真理となる 仮説実験的認識論では認識は(観察や経験から得られる)受動的な過程ではなく、(大胆な仮説を立てる)主体を前提としている。 板倉聖宣は具体的事例としてガリレオ・ガリレイの研究をあげた。ガリレオは「ピサの斜塔で落下実験したから、アリストテレスの法則の間違いに気がついたわけではない。まず予想(仮説)があったからだ」と論じている。また板倉聖宣は日本の脚気研究で「どうして初期の段階で〈麦飯や玄米を食べると脚気が治る〉という仮説を、エリート研究者たちは認めることができなかったのか」。いくら「観察」や「実験」を重ねても、鮮明な「仮説」(大胆な仮説)がなければ問題解決は始まらず、「大衆のもの」となって真理が確立すると主張した。
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