仮説演繹法への批判と限界
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 21:15 UTC 版)
「仮説演繹法」の記事における「仮説演繹法への批判と限界」の解説
科学史家の板倉聖宣は仮説演繹法に対して仮説実験的認識論を主張し、 科学は大いなる空想を伴う仮説とともに生まれ、討論・実験を経て、大衆のものとなってはじめて真理となる。 とし、「大胆な仮説」を重視した。すなわち、 大いなる空想を伴う仮説。 討論・実験。 大衆のもの。 真理。 である。板倉は自身の科学史研究から、 いくら観察や実験を重ねてもそれだけでは問題解決は始まらず、鮮明な仮説(大胆な仮説)があって初めて目的意識的な問いかけ(実験)がはじまる。科学的認識は大衆のものとなってはじめて真理となる。 と主張した。 たとえばヒューウェルと同時代に発表された、ダーウィンの『種の起源』の構成は、最初の章で「生物は一つの原種から多数の品種が生まれた」か「多数の生物種を創造主が作り、それが固定化している」という2つの仮説を大胆に立てて、それを後の章で検討して、最後の章で「すべての生物種はたった一つの原種から生まれた」と考えるしかないと結論している。 ダーウィンの『種の起源』は、仮説演繹法からの厳しい批判を受けた。ジョン・ホプキンス(1793-1866)は、仮説演繹法の立場から、 自然選択を仮定しても、これが種の進化をもたらす力を持つとアプリオリに信じる理由は全く無い。したがって自然選択が進化を生じる力を持つという主張は、帰納的手続きにより、仮定された原因の必然的な帰結と、自然が我々に示す現象とを注意深く付き合わせなくてはならない。ところがダーウィンの議論が示すのは、自然選択により種の進化がもたらされるかもしれない、という結論のみである。 と述べた。さらにホプキンスは、 ダーウィンは蓋然性の代わりに、単なる可能性を置き換えることで満足し、自分の理論を確立するための厳密な論証を近似的にめざす義務を怠り、その理論が間違いであると厳密に証明されるまでは、正しいであろう自己満足的に仮定しているのである。 と批判した。 仮説演繹法は古典的科学観に裏打ちされ、説明や仮説の検証といった科学の方法の中心はすべて演繹を軸にしている。仮説演繹法ではダーウィンの仮説にはいかなる証明も与えられていないとされた。仮説演繹法では「仮説からの厳密な演繹」を必要としていて、自然選択のような確率的、統計的な論証を受け入れる余地がなかった。 一方、同時代の生理学者W.B.カーペンター(英語版)(1813-1885)は、ダーウィン説を「新しい仮説」として高く評価して次のように述べている。 あらゆる科学の歴史はその大きな進歩の新紀元が、新しい事実の発見の時期ではなく、それまでに知られている事実を統括して一般的な原理にまとめる役目を果たし、以後の探求に新しい方向を与えた新しい概念の発見の時期であることを示している。このような観点から我々はダーウィン氏に最も高い評価を与えるのである」 ダーウィンの「自然選択による生物種の進化」という大胆な仮説は、150年後の現在、遺伝学、進化生物学などの発展をもたらし真理となった。同様にヒューウェルが認めなかったドルトンの大胆な原子説も現在では大衆の知識となっている。 「仮説実験的認識論」も参照
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