仮説実験的認識論への批判と論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 21:12 UTC 版)
「仮説実験的認識論」の記事における「仮説実験的認識論への批判と論争」の解説
科学史家の広重徹は『科学史研究』に連載された板倉聖宣の博士論文での科学方法論を批判して、「ありもしない果実を求めるむなしい努力であるのみならず、歴史の具体的分析に対して有害な先入観を与えることになりかねない。」と述べた。これに対して板倉は「この対立は広重氏が大規模な仮説を立てることをきらうことにあるといっても良いでしょう。私ははっきりと大胆な仮説を立てて研究します。けれども広重氏はただ〈知られた事実〉の糸を無意識な仮説をもとにつなげていくだけなのです」と反論した。 また広重の、「(板倉の)仮説的な方法は、歴史の具体的分析に対して有害な先入観を与えることになりかねない」という批判には、板倉は「研究者というものは大胆な仮説を持ってはじめて、これまで気がつかなかった事実を発見しうる」のであり、「仮説が仮の説であることを忘れて事実と思い込めば〈有害な先入観〉ともなりかねないが、仮説を仮説として維持することはなんら有害ではない」、「間違った仮説からだってしばしば大発見が生まれることは科学史の教える事実」、「それまでの事実と矛盾するように見える大胆な仮説が提出されてはじめて大きな発見がもたらされたことを忘れてはならない」と反論した。 また、広重は「力や速度の概念を生徒に理解しやすく教えるのに、力学史が何かのヒントを与えるだろうということには私にも異存がない。しかしそのことと、(理論の)発展過程の構造の同一性とがいったいどういう関係にあるのか私には理解できない。この同一性が電磁気学の教え方の再検討をもうながすと板倉氏はいうが、それなら、構造の同一性にもとづく新しい電磁気学の教え方のプランを示してほしい」とも批判した。これに対して、板倉は「広重氏の批判に言葉で答える代わりに、科学史や科学教育の研究成果そのもので答える」、「私の仮説がこれまで知られていなかったことをどれだけ発見するのに役立ち、また科学教育の改善に役立つかを事実を持って証明しようと考える」と答え、その後仮説実験授業の提唱という形で、自身の科学論を具体的な教育の問題に応用していった。
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