仮説実験授業研究会による追試と普及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 08:28 UTC 版)
「キミ子方式」の記事における「仮説実験授業研究会による追試と普及」の解説
「仮説実験授業#授業科学の提唱と仮説実験授業の拡張」も参照 松本キミ子は大学卒業後、産休補助教員として小中学校で絵の授業を担当してきたが、その指導方法は他の美術教師になかなか認められなかった。1978年に板倉聖宣は松本キミ子と出会い、彼女の美術教育の実践を知った。板倉はすぐに仮説実験授業研究会に松本キミ子の美術の授業を紹介し、仮説実験授業研究会の中に、その独自の絵の授業「キミ子方式」は急速に広まった。 板倉がキミ子方式を高く評価したのはその「再現可能性」であった。板倉はそれまで「芸術の授業ではその授業の法則を一般化してとりだすことはなかなかできないだろう」と考えていたのだが、「松本さんの実践を見ると、絵の授業でも明らかに授業の法則性を問題にしうることがわかる」。「松本さんの授業は名人芸の絵の授業記録ではなく、他の人がまねしうる授業記録であり、授業科学として注目すべきものだと思う」と高く評価した。さらに「絵を描くのをたのしいと思えるようにする」という松本の授業のねらいから、キミ子方式は「たのしい授業」という点でも評価された。 仮説実験授業研究会の中でキミ子方式が知られるようになると、すぐにキミ子方式の絵の授業をそのまま実践して成果を出した教師が出現した。キミ子方式は仮説実験授業の授業評価法で、「子どもたちの感想文」と「たのしさの五段階評価」によって評価され、授業を体験したほぼ全員の子どもが「5.すごくおもしろかった」と評価した。 松本キミ子の著書は仮説実験授業研究会会員の堀江晴美の協力も得て、次々に出版され、キミ子方式が普及していった。
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