ヒューウェルの認識論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 21:12 UTC 版)
「仮説実験的認識論」の記事における「ヒューウェルの認識論」の解説
ハーシェルと同時代に科学的認識論を唱えたウィリアム・ヒューウェル(1794-1866)は、ハーシェルが「推測」の段階で「仮説」を立てることを認めたことへ警鐘を鳴らし、「単なる推測から重要な物理的真理が予見された例示は人類の歴史に1つもない」と書いた。ヒューウェルはあいまいな仮説は認めず、ジョン・ドルトンの原子説(1805)も認めなかった。ヒューウェルはハーシェルに対抗して『帰納的諸科学の歴史』(1837)と『帰納的諸科学の方法』(1840)を書いた。 ヒューウェルも「仮説は重要だ」とその著書の多くの箇所で述べているが、「仮説を立てるだけでなく、その後も慎重に観察、まとめあげ、反証を大切に」と主張している。ハーシェルとヒューウェルは共に、仮説を立てる場合には「観察すること」の大切さを述べている点は同じであり、これらの方法論は「仮説演繹法」と呼ばれる。 これに対して板倉は「大いなる空想をともなう仮説」と共に科学は生まれるとする。
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