板倉賞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 10:27 UTC 版)
板倉は1990年の還暦祝いで多くの祝い金を得たのをきっかけに、それを基金にして「板倉研究奨励賞」を設立。賞の授与は1991年1月の冬の全国合宿研究会から始まっており、第1回受賞者は犬塚清和と宮地祐司であった。板倉は「研究が完成した段階よりも、研究活動が本格化した段階で、資金援助をすることが大切」という考えから、「多くの人々の見るところの評価が安定してからの賞とするよりも、まだそこまでいかないような仕事をも応援するような賞にしたい」という理念を示し、「主観的な評価」と断った上で、設立理由を記している(#外部リンクも参照)。 1991年7月の夏の全国大会(北海道定山渓大会)では「低学年における原子論教育の可能性」の功績により第2回の賞が伊藤恵に贈られた。伊藤恵はその後の1992年1月の冬の全国合宿研究会で受賞記念講演をし、以後夏の大会で授与し、受賞者が次の冬の大会などで記念講演を行うことが慣例となった。当初「イタクラ研究奨励賞」と呼ばれたが、その後「板倉賞」の名称で定着した。 授業書の開発や普及が評価されることが多いが、数学分野の授業展開に取り組んだ出口陽正や、授業書を元にした科学劇のシナリオ作成や実践を行った伊藤善朗に対しても授与されている。さらに2000年にはサイエンス・シアターの台本を授業書にする活動取り組みに対して授与され、2003年には大学での仮説実験授業が、2008年には盲学校における仮説実験授業の取り組みが受賞した。 また、モルQの松平亨、紙芝居「ゲンシマン」の小笠原智、「街角かがく倶楽部」を展開する村西正良や田中葉子も受賞している。一方で、1995年には「研究会の事務体制を補強し発展させた」という功績に対して二階堂泰全が受賞しており、2000年には「板倉講演のテープ起こしの達人」が評価されて原田研一が受賞している。なお、中一夫(2005年、2013年)や阿部徳昭のように、2度受賞することもある。
※この「板倉賞」の解説は、「仮説実験授業研究会」の解説の一部です。
「板倉賞」を含む「仮説実験授業研究会」の記事については、「仮説実験授業研究会」の概要を参照ください。
- 板倉賞のページへのリンク