三浦つとむ
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三浦 つとむ (みうら つとむ、1911年 (明治44年) 2月15日 - 1989年 (平成元年) 10月27日)は、日本の哲学者、言語学者、マルクス主義者。弁証法を武器とし、在野の理論家として、認識論、言語論、芸術論、組織論、人生論など、幅広い分野において、活発な研究を続けた。
注釈
- ^ 「独学」について以下のように述べている。教師の言葉を盲信したりうのみにしたりしないで、学問に欠けてはならぬ健康な懐疑精神を持ち、疑いなく真理と思われても対象と取り組んで再発見しながら身につけ、さらに進んで独自の見解・独自の理論の創造へと進んで行くという学び方をしているなら、それは本質的に独学である。だから学問をするとは本質的な独学の道を進むことであり、学歴のない人間が独学で優れた業績を残したのは、本質的な独学と現象的な独学とが相伴っていたということにほかならないのであって、異常でもなければ神秘的でもない。 — 『三浦つとむ選集』第1巻、4頁
- ^ エンゲルスの著作からどのように弁証法を学んだのか、以下のように述べている。
- ^ この本の帯文は時枝誠記が書いた。三浦さんは私の文法学説の良き理解者であると同時に、厳正な批判者であり、助言者でもある。文法学は文法体系のつじつまを合わせることだけで出来ることではなく、もっと根本的なものの見方、考え、すなわち科学する態度から出発しなければならないことを、三浦さんは繰り返し説いている。そのむづかしい哲学を、三歳の児童でもわかりそうな図解でもって、懇切に興味深く説明する。私もさらに熱読して多くの収穫を得たいと思っている。
- ^ 「国家は国民に対し国家意思を法という規範として押しだす」という仮説である。
- ^ 吉本は、以下の箇所から刺激を受け、文学理論に活かそうと考えたと述べている。ちょっと考えると、写生されたり撮影されたりする相手についての表現と思われがちな絵画や写真は、実はそれと同時に作者の位置についての表現という性格をも備えており、さらに作者の独自の見方や感情などの表現さえも行われているという、複雑な構造を持ち、しかもそれらが同一の画面に統一されているのです。絵画や写真は客体的表現と主体的表現という対立した二つの表現の切り離すことのできない統一体として考えるべきものであり、主体的表現の中にはさらに位置の表現と見方や感情などの表現とが区別される、ということになります。 — 『日本語はどういう言語か』講談社学術文庫、1976年、18頁
- ^ 川島正平は、ソシュールから橋本進吉、時枝誠記らの理論と比較しながら、三浦つとむの言語論の有効性を解説し、コンパクトにまとめている[9]。
出典
- ^ 選集1 1983, p. 6, 7.
- ^ 選集1 1983, p. 138, 139
- ^ 選集1 1983, p. 41 - 89
- ^ 選集1 1983, p. 11, 12, 90, 91
- ^ 選集1 1983, p. 239
- ^ 選集1 1983, p. 13
- ^ 『文学・哲学・言語』62頁、『生きる・学ぶ』79頁。
- ^ 佐良木昌編『言語過程説の探求 第一巻』(明石書店、2004年)。時枝誠記及び三浦つとむの見地から言語学各分野の論文を所収。全三巻。
- ^ 川島正平『言語過程説の研究』リーベル出版、1999年
- ^ 用語解説
- ^ 三浦つとむの拡がり - archive.today(2013年4月27日アーカイブ分)
- 1 三浦つとむとは
- 2 三浦つとむの概要
- 3 著作
- 4 影響
三浦つとむ(みうら つとむ)
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「SEWING」の記事における「三浦つとむ(みうら つとむ)」の解説
入学試験の際、隣に座っていたことから谷津と知り合いになる。新潟県出身。デザイナーの高田賢三を尊敬している。
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