正戦論
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正戦論(せいせんろん、英語: Just War もしくは Just War Theory)とは、ローマ哲学とカトリックに起源をもつ、軍事に関する倫理上の原則・理論。西ヨーロッパにおいては「正しい戦争」「正しくない戦争」を区別することで、戦争の惨禍を制限する事を目指して理論構築がなされた。正しい戦争論とも。
注釈
出典
- ^ この項目、ハンス ユーゲン・マルクス「正しい戦争はあるか-歴史の答え」(『南山神学』27号、2004.2、p.p.1-43)[1]脚注4から起筆した。
- ^ a b 木村(2003: 110)
- ^ a b c d War (Stanford Encyclopedia of Philosophy) (英語)(スタンフォード哲学百科事典)
- ^ a b c d e 木村(2003: 111)
- ^ 山内(1997: 178、201)
- ^ 山内(1997: 252-272)
- ^ a b c 木村(2003: 112)
- ^ 引用元書籍は『戦争批判の公共哲学』113頁。ただし当書籍中でも引用である事が脚注に記されている。記された引用元はヘンリー・キッシンジャー著『外交 上』岡崎久彦監訳、日本経済新聞社、1996年、67頁
- ^ 木村(2003: 112-113)
- ^ 木村(2003: 114-115)
- ^ 木村(2003: 115)
- ^ 鍵括弧内引用元書籍は小林編・木村(2003: 121)。ただし当書籍中でも引用である事が脚注に記されている。記された引用元はマイケル・ハワード著『ヨーロッパ史と戦争』奥村房夫・奥村大作訳、学陽書房、1981年、11頁
- ^ a b c 木村(2003: 121)
- ^ a b 木村(2003: 120)
- ^ 木村(2003: 126)
- ^ a b ゴーマン(1990)
- ^ a b c d e 信州夏期宣教講座(2009)
- ^ ハルナック、G.J.ケドゥックス、G.J.ヘリング、ジョン・ホルシュ、ハーシュバーガー、ポール・レムジー
- ^ 佐々木寛(新潟国際情報大学情報文化学部教授)「「正戦論」の乗り越え方」
- ^ 西山俊彦(カトリック司祭、英知大学講師)「「神の国」と「地上の国」の平和主義-「正戦論」からの脱却を期待して」、『サピエンチア』 1995年2月(英知大学)
- ^ a b 別所良美(名古屋市立大学人文社会学部国際文化学科教授)「平和主義と正戦論―グローバル化と暴力の制御、あるいは「9・11」の衝撃―」
正戦論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/30 08:18 UTC 版)
詳細は「正戦論」を参照 戦争の善悪という倫理問題をより学術的に発展させた研究に、西欧に伝統的な正戦論(Just war theory)がある。 正しい戦争は、戦争のための法(jus ad bellum、戦争開始の正当化事由:Just causeを含む)への適合と、戦争における法(jus in bello)への適合を必要とする。不正な目的の戦争は開始そのものから否定されるべきであり、また不正な手段は正しい戦争目的のためでも禁じられるべきであるとする。これはそれまで漠然としていた戦争の正当化の論理に理論的な判断基準を与えることの試みであり、同時に戦争の惨禍の際限の無い拡大に歯止めをかける狙いもあった。 アウグスティヌスやトマス・アクイナスが神学的な思想に基づいて展開したスコラ的正戦論に始まる。キリスト教が述べている隣人愛などの教義と武力行使の正当性についての整合性を持たせるための議論が行われた。十字軍については当時は戦争のための法(jus ad bellum)を満たしたとされ正当化された一方、兵士には戦争における法(jus in bello)の遵守は求められなかった。これはjus in belloが当時、異教徒・異端者相手の戦闘には適用されなかったためであり、十字軍の侵攻における残虐行為の拡大に繋がった。 17世紀から18世紀にかけて国際法がこの問題に取り組み始め、国際法学者であったフーゴー・グロティウスの『戦争と平和の法』でも戦争行為を巡る正義の判断に言及されている。グロティウスは防衛、回復、刑罰という正当性がなければならないと論じており、また同盟国の危機のための戦争をも認めている。これは集団的自衛権の考え方でもあり、友好国のために戦うことは正統な権利だと考えていた。同時に「避けがたい不知」のために当事国双方が自らの正当性を信じている場合もあることを認めており、その後の学説でも国際社会には戦争の正当性を判定することができる中立者は存在しないとされ、戦時における武力行使の法的な規制だけが論じられるようにもなった。 しかし政治哲学者のマイケル・ウォルツァーは『正しい戦争と不正な戦争』("Just and Unjust Wars")で戦争の正義を考察した。ウォルツァーは戦争の正当化事由として侵略への自衛戦争、予防的な先制攻撃、人道的介入が挙げられる。戦争での正議論には個人の生存権と自由権の二つの権利から出発しており、従って個人の集合体である政治的共同体の維持も極めて重要であるとする。そこで外敵からの侵略を受けたならば自衛戦争を行うことは当然であるとして自衛を認める。また隣国が軍拡を推し進めており自国がそれを明らかな脅威と認識したら侵略を予防するために先制攻撃をしかけることもまた正当化できるとする。また介入については国家主権を尊重する必要があるとしながらも、飢餓や虐殺などの国際社会の安定を脅かす可能性に対処することは正当化が可能であるとする。ただしウォルツァーは人道的な目的の介入については否定的な立場をとっている。なぜならば完全に純粋に人道的な目的だけで介入が行われた事例は歴史にもなく、また外国人が自国民の命に勝る価値を自国の政治過程では持つことはないためである。このウォルツァーの正戦論は伝統的な正戦論を踏まえた現代の正戦論であり、これを正戦論の復活とする見解もある。
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正戦論
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フリードリヒは、平和の希求とそのための外交を重要であるとしたうえで、「よき戦争がよき平和をもたらすという逆説が真実となる場合」の例を挙げている。それは、(1)防衛戦争、(2)権利擁護の戦争、(3)予防戦争、(4)同盟に基づく戦争(参戦)である。一番目は自明として、二番目は、とくに領土の継承が念頭に置かれている。三番目は、大きな勢力の更なる拡張を想定して、このような場合、相手が攻め込んでくるのをただ待っていても不利な状況をもたらすだけなので、攻撃に転ずるべきで、これは一番目に準じており、正当であるとする。四番目、条約の忠実な履行は賢明な選択であり、敵対者に対する抑止力となるとする。ただし、フリードリヒはこうも述べる。「それでも、条約や同盟を破棄しなければならない事態がありうることは、認める」 「正戦論」も参照
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正戦論
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「正戦論」も参照 戦争をどのようにして規制するのかは、国際法学において長く重大な課題であり続けた。正戦論または正規戦争論とは、戦争を正当な戦争と不正な戦争とに分け、正当な原因にもとづいた戦争だけを合法な戦争として認め不正な戦争を排除しようとする考え方であり、アウグスティヌスが初めて体系化したといわれる。さらにスコラ学を経て中世の神学者に伝わり、フーゴー・グロティウスをはじめとした近世の国際法学者たちに正戦論が受け継がれた。グロティウスは1625年の著書『戦争と平和の法』の中で、戦争の正当原因を詳細に述べて正戦論をより精緻なものとしたと言われるが、しかし正戦論は実定法上の根拠を欠いた理論上のものにとどまるものであった。
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