十字軍の侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/17 06:33 UTC 版)
1284年、フィリップ3世とシャルル率いる十字軍の第一波がルシヨンに入った。その軍勢は騎兵1万6000人、石弓兵1万7000人、歩兵10万人、フランス南岸からの軍船100隻という威容だった。しかし十字軍は、領主ジャウメ2世の支援にもかかわらず、地元住民の抵抗を受けた。エルヌ市は、半世紀前のルシヨン伯ヌーニョ・サンチェスの庶子で「ルシヨンの私生児」と呼ばれた人物のもとで十字軍に果敢に抵抗した。最終的に市は陥落し、十字軍は教皇特使が参加しているにもかかわらず聖堂を焼き、市民を虐殺した。「ルシヨンの私生児」は降伏交渉に成功し、囚人として十字軍の南進に随行することになった。 1285年、フィリップ3世はジローナを包囲し、街を堀で囲んだ。市は激しく抵抗したが、最終的に占領された。4月28日、ここでシャルルはアラゴン王への戴冠式を挙げたが、本物の王冠はまだ手にしていなかったので、枢機卿ジャン・ショレが自らの帽子をシャルルに与えた。このためシャルルは「帽子王」(roi du chapeau) というあだ名をつけられ嘲笑の的となった。
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