十字軍による略奪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 12:09 UTC 版)
11世紀末から13世紀にかけて、十字軍は多くの聖遺物を西ヨーロッパに持ち込んだ。宗教指導者たちは教会や修道院の略奪を禁止していた。だが第4回十字軍(1202年 - 1204年)の攻撃によりコンスタンチノープルが陥落し、何世紀もの間その大量の聖遺物の所蔵地として有名だったビザンツ世界の首都の門が開かれると、数多くの信徒や聖職者が教会に押し入り、略奪した聖なる品物を西方へと持ち去った。これら「敬虔な盗人」には次の聖職者が含まれる。 ハルバーシュタット司教コンラート(ドイツ語版)(独: Konrad von Krosigk、1184 - 1225) ペイリスのマルタン(仏: Martin de Pairis) - アルザスのヴォージュ山脈にあったシトー会ペイリス修道院(フランス語版、ドイツ語版、英語版)の修道院長を務めた人物。第4回十字軍に参加した。 ソワソン司教ニヴロン(フランス語版)(仏: Nivelon de Quierzy、? - 1207)
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