十字軍の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 16:30 UTC 版)
十字軍は、東方の文物が西ヨーロッパに到来するきっかけともなり、これ以降盛んになる東西の流通は、後のルネサンスの時代を準備することにもなった。また近東地方の優れた城郭を実地に見た諸侯たちは各地でそれに倣って改良した城郭を建てた。 11世紀以降盛んとなっていた地中海交易は、十字軍の輸送や補給、さらに西欧勢力がシリア・パレスチナといった地中海東岸の一角を抑えたことでより一層発展し、主な担い手であるヴェネツィア共和国とジェノヴァ共和国はこの時期に隆盛を迎えた。特にヴェネツィアは第4回十字軍を利用してザラやコンスタンティノープルを抑え、最盛期を迎えている 十字軍の資金調達の必要から教皇や君主が徴税制度を発達させ、西ヨーロッパの封建領主は、衰退した。 東ローマ帝国は、1261年に復活したものの第4回十字軍によって受けた打撃から立ち直れずに衰退し、1453年の滅亡に至った(コンスタンティノープルの陥落)。 西欧においては、十字軍は西欧が初めて団結して共通の神聖な目標に取り組んだ「聖戦」であり、その輝かしいイメージの影響力は後日まで使われた。後の北方や東方の異民族・異教徒に対する戦争ほか、植民地戦争などキリスト教圏を拡大する戦いは十字軍になぞらえられた。また異国への遠征や大きな戦争の際には、それが苦難に満ちていても、意義ある戦いとして「十字軍」になぞらえられた。 西洋では17世紀以降、戦争を伴わない宗教的な運動をも「十字軍」と呼ぶようになり、以来さらに使われる範囲が拡大し、英米では「正義の味方」と言う意味[要出典]の単語としてcrusadeと言う語を用いる。現在では大きな目標を掲げた単なるキャンペーンのようなものも、「ゴミに対する十字軍」「文盲に対する十字軍」などのように「十字軍」に例えられている。「草刈り十字軍」は有名。もっとも、十字軍の歴史の見直しやイスラム教徒に対する配慮などから近年では社会運動の名称などに使用されることは少なくなっている。[要出典] 2001年のアメリカ大規模テロ事件では、ブッシュ米大統領が「this crusade, this war on terrorism(これは十字軍だ、これはテロリズムとの戦争だ)」と発言し、イスラム教の反発を受け撤回した。しかし、ブッシュ政権によるアフガニスタン侵攻、イラク侵攻を「第十次十字軍」と呼ぶ者[誰?]もあった。 北欧においては、近代にスウェーデンがフランス革命や、ロシア帝国によるポーランドに対する弾圧に対して欧州諸国に十字軍を呼びかけている。フランス革命においては、「反革命十字軍」と言われている。しかし19世紀に入ると最早、十字軍の名の使用は時代遅れとなっていた。[独自研究?] ロシア帝国皇帝アレクサンドル1世も、オスマン帝国に対する十字軍を構想している。 ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は十字軍や異端審問などについて公式に「異端に対する敵意を持ち、暴力を用いた。これらカトリック教会の名誉を汚した行いについて謹んで許しを求める。」として謝罪した。さらに、2001年には十字軍による虐殺があったことを正式に謝罪した。これはカトリック教会にとって、十字軍の評価に対する大きな転換であった。
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