十字軍の襲来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 06:33 UTC 版)
11世紀末には十字軍が中東に襲来した。ハッラーンを制圧した十字軍(エデッサ伯国のボードゥアン2世とジョスラン1世)とムスリム勢力(モースルのジェケルミシュやマルディンのソクマンなどセルジューク朝系の領主たち)の間で、1104年5月7日に「ハッラーンの戦い」と呼ばれる決戦がバリフ川の谷間において起きた。この戦いは、アルメニア人の年代記作者エデッサのマチュー(英語版)によればこの戦場はハッラーンから2日かかる場所であったとされる。アーヘンのアルベルト(英語版)や、シャルトルのフーシェ(英語版)といった年代記作者たちはバリフ川とユーフラテス川が合流するラッカの対岸にある平野としている。この戦いで、十字軍側は敗れエデッサ伯ボードゥアン2世(英語版)[要リンク修正]はセルジューク朝の兵士の捕虜となった(釈放された後はエルサレム王国の国王となった)。
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