十字軍以前のピエールとは? わかりやすく解説

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十字軍以前のピエール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 06:38 UTC 版)

隠者ピエール」の記事における「十字軍以前のピエール」の解説

ノジャンのギベール(Guibert de Nogentによればピエールアミアン出身で、北フランスのどこかで修道士の服を着て隠棲していたとされる。また東ローマ帝国帝室生まれた皇女歴史家アンナ・コムネナによればピエール1096年以前にもエルサレムへの巡礼目指したが、途中でトルコ人捕まり拷問され聖地巡礼はならなかったとされる文献によっては、ローマ教皇ウルバヌス2世1095年11月クレルモン=フェラン開催し聖地への軍の派遣訴えたクレルモン教会会議の場にピエールもいたとある。しかし、フランス人々十字軍参加訴え説教師一人としてピエール存在確認できるのはこの後のことである。ノジャンのギベールは、彼が隠棲をやめて辻説教をするようになった目的不明としている。 クレルモンの北150kmにあるベーリー地方活動始めたピエールは、道徳立て直しを叫ぶ情熱的な信仰復興運動家としてたちまち熱狂的な人気集めたノジャンのギベールによればピエールは常に裸足で、質素な羊毛チュニック頭巾のあるケープ着てロバ乗り集まった多数喜捨貧者施し各地いさかい鎮めて聖者如く崇められたという。ピエール年齢不詳長いあごひげたくわえ、姿は痩せこけて背は低かったが、声は大きくその演説司教貴族から農民商人盗賊人殺しに至るまで多くの人の心を動かすことができた。ノジャンのギベールは、ピエール訴え熱狂した人々殺到して彼の衣服ロバたてがみはぎ取り聖遺物でもあるかのようにしまいこんだことを書いている。 ピエール呼びかけ応えて千人もの庶民武器をとり十字架背負い、手に棕櫚持ってフランス各地から聖地への行進加わった非戦闘員の多い民衆十字軍は、実態大巡礼のようなものであり軍事的に何の役割果たさないものであった。しかし民衆十字軍呼ばれるピエール軍勢貧者ばかりでなく、貴族階級属さない裕福な自作農商人聖職者ではない俗人多く、後に一行指揮官となる「無産公」ゴーティエ・サンザヴォワール(Gautier Sans-Avoir、無一文ゴーティエ)などのように武装した兵士貴人下級聖職者参加している。 フランス中部から北部フランドルなどを周るピエール一行には次々と貧者たちをはじめとする民衆合流した十字軍への熱気高まりで、中には聖地に着く前から異教徒であるユダヤ人殺し始める者もおり、ロレーヌ地方ケルンマインツなどのユダヤ人コミュニティでは略奪虐殺が行われた。

※この「十字軍以前のピエール」の解説は、「隠者ピエール」の解説の一部です。
「十字軍以前のピエール」を含む「隠者ピエール」の記事については、「隠者ピエール」の概要を参照ください。

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