アンナ・コムネナ
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アンナ・コムネナ (ギリシア語: Άννα Κομνηνή Anna Komnena, 1083年12月2日 - 1154年から1155年)は、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)コムネノス王朝の皇族、歴史家。コムネノス王朝の初代皇帝アレクシオス1世コムネノスと、有力貴族ドゥーカス家出身の皇后エイレーネー・ドゥーカイナの長女。中世ギリシャ語読みでは「アンナ・コムニニ」。
注釈
- ^ 12月1日としている史料もあるが『アレクシアス』ではエイレーネー皇后が産気づいた1日にアレクシオス1世が遠征から凱旋し、「夜明けに女の子が生まれた」と記されているので、皇帝が帰還した1日から明けた2日の早朝に生まれたとするのが妥当と考えられる。12世紀のビザンツ人のが残したメモにも「12月2日、土曜日、九刻、インディクティオ7年に『緋色の生まれ』のアンナ殿が生まれた」と書かれている(井上浩一『歴史学の慰め アンナ・コムネナの生涯と作品』P18)
- ^ 「ポルフュラ(Πορφύρα, Porphyra)」という緋紫色(皇帝を象徴する色とされる)の壁に覆われた皇后専用の産室で、ここで生まれた皇子・皇女は皇帝の嫡出子であることを示す「緋色の産室生まれ(ポルフュロゲネトス 希: Πορφυρογέννητος)」と呼ばれ、特別扱いされた(井上浩一『歴史学の慰め アンナ・コムネナの生涯と作品』P13)
- ^ 一方で弟のヨハネスの誕生時については「浅黒い肌」「黒い瞳は、生まれてきた男児の身体から判断する限り、その奥にある激しい気質を示していた」と容姿や性格に対して否定的ともとれる描写をしており、周囲の反応も自らの誕生時はあらゆる人々から喜ばれたと書いたのに対して、ヨハネスの時はお追従で喜んでる者もいたかのような描き方をしており、ヨハネスの誕生に対しては悪意が読み取れるとされる(井上浩一『歴史学の慰め アンナ・コムネナの生涯と作品』P42-45)
- ^ 現代ギリシャにおいてもこの命名法が使用されており、例えば2020年現在のギリシャ共和国首相キリアコス・ミツォタキスの父方の祖父の名は「キリアコス」(el:Κυριάκος Κ. Μητσοτάκης)である。
出典
- ^ 井上浩一 2020, p. 85.
- ^ a b アンナ・コムニニ 2019, p. ⅹⅸ.
- ^ a b アンナ・コムニニ 2019, p. ⅹⅹ.
- ^ a b c 井上浩一 2020, p. 80-84.
- ^ 井上浩一 2020, p. 12-18.
- ^ アンナ・コムニニ 2019, p. ⅷ-ⅸ.
- ^ 井上浩一 2020, p. 12-13.
- ^ アンナ・コムニニ 2019, p. ⅸ.
- ^ アンナ・コムニニ 2019, p. ⅸ-ⅹ.
- ^ アンナ・コムニニ 2019, p. ⅹ-ⅺ.
- ^ アンナ・コムニニ 2019, p. 1.
- ^ 井上浩一 2020, p. 137.
- ^ 井上浩一 2020, p. 75-77.
- ^ 井上浩一 2009, p. 207-208.
- ^ 井上浩一 2009, p. 209-210.
- ^ 井上浩一 2020, p. 106-108.
- ^ 井上浩一 2020, p. 111.
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- ^ 尚樹啓太郎 2001, p. 582.
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- ^ 井上浩一 2020, p. 151-152.
- ^ 井上浩一 2020, p. 154.
- ^ 井上浩一 2020, p. 78-79.
- ^ 井上浩一 2020, p. 153-154.
- ^ 井上浩一 2020, p. 160-162.
- ^ 井上浩一 2009, p. 212-213.
- ^ ヌルミネン 2016, p. 75.
- ^ a b 井上浩一 2020, p. 82-83.
- ^ a b 井上浩一 2020, p. 83.
- ^ 井上浩一 2020, p. 83-84.
- ^ a b 井上浩一 2020, p. 123.
- 1 アンナ・コムネナとは
- 2 アンナ・コムネナの概要
- 3 容姿
固有名詞の分類
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