父の死と弟ヨハネスへの陰謀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 15:09 UTC 版)
「アンナ・コムネナ」の記事における「父の死と弟ヨハネスへの陰謀」の解説
1118年に父アレクシオス1世が死去する際には、アンナは母エイレーネーと共に夫のニケフォロスを後継者に据えようとしたが、アレクシオスがこれを認めず、ニケフォロスも動かなかったために失敗し、既に共同皇帝となっていた弟のヨハネスが皇帝ヨハネス2世として即位した。 それでもなお、夫を帝位に就けて皇后になることを諦めていなかったアンナは、翌1119年の春に首都コンスタンティノープルの郊外にあった離宮(フィロパティオン宮殿)に滞在していた弟ヨハネス2世を暗殺するクーデターを計画するが、またしても夫のニケフォロスが動かず、これも失敗してしまう。
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