父の死去と政界入り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 15:08 UTC 版)
1983年(昭和58年)1月、自由民主党衆議院議員在職中だった父・一郎が急死。 日本興銀を退職し、同年12月に行われた第37回衆議院議員総選挙に、自由民主党の公認を得て北海道5区から立候補した。弔い選挙となったこの選挙には、父・中川一郎の側近として秘書を務めていた鈴木宗男も立候補した。2人による後継争いは、マスコミから「骨肉の争い」ともいわれた。 この選挙で中川はトップ当選し、自由民主党の公認が得られなかった鈴木も下位で初当選した。就任後は自由革新同友会(旧中川一郎派)に所属、その後は清和会(福田赳夫→安倍晋太郎→三塚博派)→亀井グループ→志帥会(江藤・亀井派→亀井静香派→伊吹文明派)と、農水系・保守派の議員として歩んだ[要出典]。 1989年(平成元年)、農林水産政務次官に就任。
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