誕生から少女時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 15:09 UTC 版)
「アンナ・コムネナ」の記事における「誕生から少女時代」の解説
アンナは1083年12月2日、大宮殿にある皇后専用の「緋色の産室」で生まれた。アンナは『アレクシアス』(後述)で自らが生まれた時のことについて、 土曜日の夜明けに女の子が生まれた。その子は何から何までお父さんそっくりだと誰もが言っていた。私がその赤ちゃんである。 と記している。 生まれて間もなくドゥーカス王朝の皇帝ミカエル7世の息子でアレクシオスの共同皇帝とされていたコンスタンティノス・ドゥーカス(英語版)と婚約した。コンスタンティノスは当初アレクシオスの後継候補とされていたため、そのままコンスタンティノスが即位すればアンナは皇后になれるはずであった。しかし、1087年に嫡男である弟のヨハネスが生まれ、さらに1095年にはコンスタンティノスは急死してしまった。 アンナは高度の教育を受け、宗教の書物の他、ホメロス、ヘロドトス、アリストパネスらのギリシャ古典文学を愛読、神話、地理学、修辞学、弁証学、プラトン及びアリストテレス哲学に深い知識をもった。アンナは『アレクシアス』(後述)の序文で自らについて、 緋色の産室で生まれ育てられ、読み書きは言うまでもなく、完璧なギリシア語を書けるよう精進し、修辞学をなおざりにせず、アリストテレスの諸学とプラトンの対話作品を精読し、学問の四学科(天文学・幾何学・算術・音楽)で知性を磨いたものである と記している。
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