誕生から幼年期と青年期
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「アントニオ・ヴィヴァルディ」の記事における「誕生から幼年期と青年期」の解説
1678年3月4日、イタリア・ヴェネツィアのカステッロ区に生まれる。誕生日は長らく不明であったが、20世紀になって、当時の洗礼記録が教区教会で発見された。瀕死の状態で生まれたため、助産婦が仮の洗礼を授け、2ヶ月後の5月6日に生家の目と鼻の先にあるサン・ジョヴァンニ・イン・ブラーゴラ教会で正式な洗礼を受けた。このことは、ヴィヴァルディの生まれながらの病弱さを示しているとするものと、当日にヴェネツィアを襲った大きな地震によるものという2つの見方がある。 父親のジョヴァンニ・バッティスタは、理髪師兼町医者(当時の理髪師は簡単な外科医でもあった)として家計を支えていたが、同時にヴァイオリンの才能に恵まれ、1713年発行のヴェネツィア旅行案内のパンフレットには息子アントニオと並んで名ヴァイオリニストとして紹介されるほどであった。1685年にサン・マルコの楽長になったジョヴァンニ・レグレンツィらとも親交があり、同年にサン・マルコ大聖堂のヴァイオリニストに選ばれると共に、レグレンツィを代表とする音楽家組合の創設メンバーのひとりになった。同じブレシア出身で高名なオペラ作曲家だった副楽長のカルロ・フランチェスコ・ポッラローロとも親交があったと見られ、その後劇場付きのヴァイオリニストも務めるようになる。1676年に仕立屋の娘カミッラ・カリッキヨと結婚し、初めて生まれた男子に、ヴェネツィア生まれの長男として代表的な「アントニオ」と、3月4日を祝日とする聖人ルキウス1世から「ルーチョ」の洗礼名を与える。妻はアントニオの他に夭逝した子も含めて男の子5人、女の子5人を授かるが、彼らの中から音楽家は誕生しなかった。幼少時から父親のもとでヴァイオリンに習熟すると共に、父親の幅広い音楽仲間から作曲法などを学ぶ。レグレンツィとポッラローロのほか、サン・マルコのオルガニストでのちの楽長になるアントニオ・ロッティや首席ヴァイオリニストのジョルジョ・ジェンティーリ、1699年までサン・マルコのチェリストを務めていたアントニオ・カルダーラ、ポッラローロの息子で1702年から父の任務を引き継ぎ、ロッティの後任の楽長になったアントニオ・ポッラローロなど、さまざまな音楽家がヴィヴァルディに影響を与えていたと考えられている。 庶民階級のヴィヴァルディが、やがて世に出て、さまざまな階級の人と引け目なく交わるには、聖職者になるのがもっとも確実な方法だった。1688年、10歳で当時サン・マルコ大聖堂とサン・マルコ広場を挟んで向かい合って建っていたサン・ジェミニアーノ教会付属学校に入学し、その頃サン・マルコの見習いヴァイオリニストになる。12歳で父と共演し、13歳で劇場ヴァイオリニストの仕事をする父の代理をしばしば務めるようになる。1693年、15歳で剃髪し、1699年、21歳で下級叙階を得て、1700年、22歳で助祭となり、翌1703年の3月25日に、25歳で司祭に叙階される。彼は「赤色」に因むRossi(ロッスィ)の綽名で呼ばれた父親と同じく赤い髪であったために、「赤毛の司祭」Il Prete Rosso(イル・プレーテ・ロッソ)と呼ばれた。 司祭の叙階を得た1703年、ピエタの音楽教師となる9月までの間に、『トリオ・ソナタ集』作品1をイタリアの出版社ジュゼッペ・サーラから出版する、この曲集はアルカンジェロ・コレッリの『作品1』から『作品4』と同じ様式の3声のソナタで、当時の流行に沿ったものであり、1700年に出版されたコレッリの作品5『12のヴァイオリン・ソナタ集』同様、12曲目がスペイン舞曲の《ラ・フォリア》を主題とした曲になっていた。この曲集は、父と同じブレーシャ出身のヴェネツィア貴族アンニーバレ=ガンバーラ伯に献呈され、出版費用も伯爵が負担した。この曲集は1705年に出版社の費用負担で再版された(従来はこの版が初版と見做されていた)ことから、十分な販売実績を示し、それがヴィヴァルディが音楽家への道を目指す理由になったとも考えられる(作品1は1712~1713年にアムステルダムで、1715年にパリで再版されている)。 従来ヴィヴァルディは、生まれつき喘息と思われる持病があり、特に司祭としてミサの説教に立っている時に発作が起こると、ミサの続行が困難と成ることがたびたびあり、同年9月にはミサを挙げることを免除され、平服の在俗司祭となったと本人の手紙で主張され、そう考えられていたが、実際は司祭の職務を免れるための方便だったとも推測されている。
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