ヴェネツィア旅行とは? わかりやすく解説

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ヴェネツィア旅行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 19:18 UTC 版)

ニュルンベルクのマイスタージンガー」の記事における「ヴェネツィア旅行」の解説

『わが生涯によればワーグナーチューリヒ時代1849年 - 1858年)のパトロン、オットー・ヴェーゼンドンク、マティルデ・ヴェーゼンドンク夫妻招待により、1861年11月7日から11日にかけてヴェネツィア旅したアカデミア美術館ティツィアーノ絵画聖母昇天図(Assumpta)」を見たことで、「かつての気力がまた身内燃え上がるのを感じ―『マイスタージンガー』を仕上げようと心に決めた」とされている。 「ラ・スペツィア幻影」(『ラインの黄金序奏)や「聖金曜日奇蹟」(『パルジファル』)など、ワーグナーには作品端緒創作神話のように語る傾向があり、この回想についても同様の韜晦である可能性がある。事実ワーグナーはヴェネツィア旅行に先立つ8月9日-10日ニュルンベルク訪れて一泊し10月30日付で音楽出版社主フランツ・ショットに宛てた手紙では、「できるだけ早く各地劇場にかかるような―大喜歌劇」を一年以内完成させる提案していた。これらは、ティツィアーノ絵画を見る以前段階ですでに心づもりができていたことを示している。 とはいえ、ヴェネツィア旅行には別の側面もあった。チューリヒ時代ワーグナーはマティルデ・ヴェーゼンドンクと恋愛関係にあり(『トリスタンとイゾルデ』を参照のこと。)、かつて想い断った相手との再会は、もう一度よりを戻す淡い期待抱かせる機会だった。しかし、到着早々にヴェーゼンドンク夫妻仲睦まじい姿を見せつけられワーグナーは、かなわぬ愛に終止符を打つ決心をする。ワーグナーマティルデとの蜜月時代に彼女に贈っていた第1散文稿(A)返却求めマティルデ12月25日パリ滞在中のワーグナー草稿送り返した。 ようやく今、私は完全に諦めました。―私が離れることだけが、思いのまま自由に動く力をあなたに与えるのです。 — 1861年12月マティルデ宛てたワーグナーの手ティツィアーノ聖母像は、ワーグナーにとって地上での愛の実現断念し芸術によるエロス昇華をめざす転機になったといえる

※この「ヴェネツィア旅行」の解説は、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の解説の一部です。
「ヴェネツィア旅行」を含む「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の記事については、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の概要を参照ください。

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