ヴェネツィア共和国の統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 07:35 UTC 版)
「クレタ島」の記事における「ヴェネツィア共和国の統治」の解説
詳細は「ヴェネツィア領クレタ」を参照 1204年、第4回十字軍に参加していたヴェネツィア共和国により征服される。これによりルネサンス文化が伝えられ、エル・グレコ、ニコラス・カリアキ(英語版)(哲学者)、ヴィツェンツォス・コルナロス(英語版)(詩人)などの活躍につながる (クレタ・ルネサンス(英語版))。 1348年、ペストが大流行する。以降、1398, 1419, 1456, 1523, 1580, 1592, 1678, 1689, 1703, 1816の各年にも大流行が見られた。これにより人口が流出することもあり、人口が2/3となったこともあった。島外へ逃れたものの中には、コンスタンティン・コルニアクトス(英語版)のように大陸で大成功を収めたものもあった。 1492年、スペインのレコンキスタから逃れてきたユダヤ人がクレタ島に流入。1627年にはカンディアのユダヤ人の住民は800人、島の人口の7%を占める。 1574年、ジャコモ・フォスカリーニ (Giacomo Foscarini) による非カトリック住民への圧政が始まる。ギリシャ人やユダヤ人には高税が課せられる。この圧政はオスマン帝国による征服まで続く。
※この「ヴェネツィア共和国の統治」の解説は、「クレタ島」の解説の一部です。
「ヴェネツィア共和国の統治」を含む「クレタ島」の記事については、「クレタ島」の概要を参照ください。
- ヴェネツィア共和国の統治のページへのリンク