ヴェネツィア共和国のドゥカートの模造品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/24 09:08 UTC 版)
「ドゥカート」の記事における「ヴェネツィア共和国のドゥカートの模造品」の解説
コムーネ・ディ・ローマ(英語版)の元老院が金貨を導入する際(cf.Monetazione pontificia)、フィオリーノやドゥカートは模倣する良い見本になると考えられたが、元老院の経済を握っていたフィレンツェ人たちは彼らの硬貨が模倣される事の無いように働きかけた。その結果ローマ人の硬貨は、聖ペテロの前にひざまずく元老院議員が表面に、楕円の枠内で星々を背景に立つキリストが裏面に描かれた、ヴェネツィアのドゥカートを露骨に模倣したものとなった。教皇たちは後にこうしたデザインを改めたが、1500年代まで重量やサイズが同じドゥカートを鋳造し続けた。 ヴェネツィア・ドゥカートの模倣品の殆どは、ヴェネツィアが買い付けで多くの金銭を使っていたレバントで作られた。聖ヨハネ騎士団の騎士たちは、表面に総長のデュードネ・ド・ゴゾンが聖ヨハネの前でひざまずく姿が描かれ、裏面にキリストの墓に座す天使が描かれたドゥカートを鋳造していた。しかし、彼の後の総長たちは、より正確にヴェネツィアのドゥカートを模倣する方が好都合だと考え、ロドス島やマルタ島でそうした模倣品の鋳造を行った。ジェノヴァの商人たちは更に踏み込んだ模倣をしていた。彼らはヒオス島でドゥカートの模造品を鋳造していたが、それは技術的な精巧さのみでしか本物との区別が付かない明らかな贋物であった。こうした質の低い模造品は、貨幣の純度によって高い評価を得ていたヴェネツィアにとって問題であった。ミティリーニや、ポカイア、ペラなどの都市でジェノヴァの商人たちが鋳造したドゥカートが殆ど現存していない事実からは、ヴェネツィア人がこうした模造品を発見し次第溶かして処分していた事が窺われる。
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