「睡蓮」第1・第2連作(1900年代)
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「クロード・モネ」の記事における「「睡蓮」第1・第2連作(1900年代)」の解説
モネは、1890年にジヴェルニーの地所を購入してから、家の周りに作った「花の庭」に手を入れていたが、1893年に隣の敷地を購入すると、ここにリュ川の水を引いて睡蓮の咲く池を作り、「水の庭」と呼ばれる日本風の太鼓橋のある庭を作り始めた。水の庭は1895年からモネの作品に現れるが、1898年から、大量に描かれるようになる。1900年までの『睡蓮』第1連作では、太鼓橋を中心に、睡蓮の池と枝垂れ柳が、光の変化に従って描かれている。1900年11月の「モネ近作展」で、そのうち13点が展示された。 『ジヴェルニーの日本の橋と睡蓮の池』1899年。89.2 × 93.3 cm。フィラデルフィア美術館。 『睡蓮の池、バラ色の調和』1900年。油彩、キャンバス、90 × 100.5 cm。オルセー美術館。 『ジヴェルニーのモネの庭(英語版)』1900年。油彩、キャンバス、81.6 × 92.6 cm。オルセー美術館(W1624)。 1899年秋、1900年2月、1901年2月 - 4月には、ロンドンを再訪した。「テムズ川の霧の効果」を描くことを試み、サヴォイ・ホテルから見たチャリング・クロス橋とウォータールー橋、聖トーマス病院(英語版)から見た英国議事堂(ウェストミンスター宮殿)に集中して連作に取り組んだ。ロンドンでは100点ほどを制作し、ジヴェルニーのアトリエで仕上げた。これらの連作は、1904年春にデュラン=リュエル画廊で展示されたが、印象主義の到達点として評価する見方があった一方、セザンヌにならってフォルムを重視する若い世代からは、堅牢さを欠く時代遅れの作品との批判も受けた。 『国会議事堂(英語版)』1900 - 01年。油彩、キャンバス、81.2 × 92.8 cm。シカゴ美術館(W1600)。 『ロンドン、国会議事堂:霧に透けて見える太陽』1904年。油彩、キャンバス、81 × 92 cm。オルセー美術館(W1610)。 『国会議事堂、嵐をはらんだ空』1904年。油彩、キャンバス、81.5 × 92 cm。リール宮殿美術館(リール)(W1605)。 『ウォータールー橋(フランス語版)、霧の効果』1903年。油彩、キャンバス、65.3 × 101 cm。エルミタージュ美術館(W1580)。 モネは1901年、睡蓮の池を拡張する工事を行った。そして、1900年代後半まで、『睡蓮』第2連作に取り組んだ。ここでは、第1連作の太鼓橋は見えず、池の水面が大きく描かれている。また、当初は睡蓮の花や葉が主なモチーフであったが、次第に水面に移る空や柳の影が主役になっていく。1900年から「モネの新連作ならびにピサロ近作展」が開かれる1902年2月までは、ヴェトゥイユでも制作をしている。 『睡蓮』第2連作は、1907年に発表が予定されていたが、モネは「人前に出せる作品があまりに少ない」として、デュラン=リュエルに延期を伝えている。モネは、制作中に憂鬱に悩まされることが常であり、キャンバスに怒りをぶつけ、切り裂くこともあった。このときも、展覧会の1か月前に30枚のキャンバスを破壊したことをデュラン=リュエルに明かしている。1908年8月には、ジェフロワに対して次のような手紙を送っている。 この仕事に没頭しきっています。水面とそこに映る影に取り憑かれてしまいました。これは私のような老いぼれの能力を超えた仕事です。でも私は私が感じていることを表現したいのです。何枚も描きつぶし、〔……〕また描き始めています。 1909年5月、デュラン=リュエル画廊で「睡蓮、水の風景の連作」と題した個展を開き、『睡蓮』第2連作のうち48点を展示した。この展覧会は大成功を収め、ジェフロワ、ロマン・ロラン、レミ・ド・グールモン、リュシアン・デカーヴ(英語版)、ロジェ・マルクス(フランス語版)らの称賛を集めた。新聞には、48枚の絵を一体の装飾として保存すべきだという議論も掲載されたが、これをまとめて買い受ける収集家は現れず、多くがアメリカに渡った。 前後して1908年10月から12月にかけて、アリスとともに、最後の大旅行となるヴェネツィア旅行に出た。1912年5月から6月にかけて、ベルネーム=ジューヌ画廊で、大運河、サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂、その他の宮殿などからなる『ヴェネツィアの眺め』29点が展示された。シニャックはこれをモネの芸術の最高の表現だとして称賛した。 『睡蓮』1905年。油彩、キャンバス、89.5 × 100.3 cm。ボストン美術館(W1671)。 『睡蓮』1907年。油彩、キャンバス、92 × 73 cm。DIC川村記念美術館(W1706)。 『睡蓮の池』1907年。油彩、キャンバス、100 × 73 cm。アーティゾン美術館(W1715)。 『黄昏、ヴェネツィア』1908年ごろ。油彩、キャンバス、アーティゾン美術館(W1769)。
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