「睡蓮」第1・第2連作とは? わかりやすく解説

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「睡蓮」第1・第2連作(1900年代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 06:30 UTC 版)

クロード・モネ」の記事における「「睡蓮」第1・第2連作(1900年代)」の解説

モネは、1890年ジヴェルニー地所購入してから、家の周り作った花の庭」に手を入れていたが、1893年に隣の敷地購入すると、ここにリュ川の水引いて睡蓮の咲く池を作り、「水の庭」と呼ばれる日本風太鼓橋のある庭を作り始めた水の庭は1895年からモネ作品現れるが、1898年から、大量に描かれるうになる1900年までの『睡蓮』第1連作では、太鼓橋中心に睡蓮の池と枝垂れ柳が、光の変化に従って描かれている。1900年11月の「モネ近作展」で、そのうち13点展示された。 『ジヴェルニー日本の橋睡蓮の池』1899年。89.2 × 93.3 cmフィラデルフィア美術館。 『睡蓮の池、バラ色調和1900年油彩キャンバス90 × 100.5 cmオルセー美術館。 『ジヴェルニーモネの庭(英語版)』1900年油彩キャンバス、81.6 × 92.6 cmオルセー美術館(W1624)。 1899年秋、1900年2月1901年2月 - 4月には、ロンドン再訪した。「テムズ川効果」を描くことを試みサヴォイ・ホテルから見たチャリング・クロス橋ウォータールー橋、聖トーマス病院英語版)から見た英国議事堂ウェストミンスター宮殿)に集中して連作取り組んだロンドンでは100点ほどを制作しジヴェルニーアトリエ仕上げた。これらの連作は、1904年春にデュラン=リュエル画廊展示されたが、印象主義到達点として評価する見方があった一方セザンヌならってフォルム重視する若い世代からは、堅牢さを欠く時代遅れ作品との批判受けた。 『国会議事堂英語版)』1900 - 01年。油彩キャンバス、81.2 × 92.8 cmシカゴ美術館(W1600)。 『ロンドン国会議事堂透けて見える太陽1904年油彩キャンバス81 × 92 cmオルセー美術館(W1610)。 『国会議事堂、嵐をはらんだ空』1904年油彩キャンバス、81.5 × 92 cmリール宮殿美術館リール)(W1605)。 『ウォータールー橋フランス語版)、効果1903年油彩キャンバス、65.3 × 101 cmエルミタージュ美術館(W1580)。 モネ1901年睡蓮の池を拡張する工事行った。そして、1900年代後半まで、『睡蓮』第2連作取り組んだ。ここでは、第1連作太鼓橋見えず、池の水面大きく描かれている。また、当初睡蓮の花や主なモチーフであったが、次第水面に移る空やの影が主役になっていく。1900年から「モネの新連作ならびにピサロ近作展」が開かれる1902年2月までは、ヴェトゥイユでも制作をしている。 『睡蓮』第2連作は、1907年発表予定されていたが、モネは「人前出せ作品あまりに少ない」として、デュラン=リュエルに延期伝えている。モネは、制作中に憂鬱に悩まされることが常であり、キャンバス怒りをぶつけ、切り裂くこともあった。このときも、展覧会1か月前に30キャンバス破壊したことをデュラン=リュエルに明かしている。1908年8月には、ジェフロワに対して次のような手紙送っている。 この仕事没頭しきっています。水面とそこに映る影に取り憑かれてしまいました。これは私のような老いぼれ能力超えた仕事です。でも私は私感じていることを表現したいのです。何描きつぶし、〔……〕また描き始めてます。 1909年5月デュラン=リュエル画廊で「睡蓮水の風景連作」と題した個展開き、『睡蓮』第2連作のうち48点を展示した。この展覧会大成功収め、ジェフロワ、ロマン・ロランレミ・ド・グールモン、リュシアン・デカーヴ(英語版)、ロジェ・マルクス(フランス語版)らの称賛集めた新聞には、48の絵を一体の装飾として保存すべきだという議論掲載されたが、これをまとめて買い受ける収集家現れず、多くアメリカ渡った前後して1908年10月から12月にかけて、アリスとともに最後の大旅行となるヴェネツィア旅行出た1912年5月から6月にかけて、ベルネーム=ジューヌ画廊で、大運河サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂その他の宮殿などからなるヴェネツィア眺め29点が展示された。シニャックはこれをモネ芸術の最高の表現だとして称賛した。 『睡蓮1905年油彩キャンバス、89.5 × 100.3 cmボストン美術館(W1671)。 『睡蓮1907年油彩キャンバス92 × 73 cmDIC川村記念美術館(W1706)。 『睡蓮の池』1907年油彩キャンバス100 × 73 cmアーティゾン美術館(W1715)。 『黄昏ヴェネツィア1908年ごろ。油彩キャンバスアーティゾン美術館(W1769)。

※この「「睡蓮」第1・第2連作(1900年代)」の解説は、「クロード・モネ」の解説の一部です。
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