「睡蓮」の部屋とは? わかりやすく解説

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「睡蓮」の部屋(最晩年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 06:30 UTC 版)

クロード・モネ」の記事における「「睡蓮」の部屋(最晩年)」の解説

モネは、1909年個展のとき、『睡蓮』で一室装飾するという計画考えついた。しかし、老化にともない視力低下という問題直面した。さらに1911年5月には妻アリス亡くなり1914年2月には長男ジャン亡くなるという不幸に見舞われた。印象派同志たちも次々世を去っていった。絵具の色も判別できないという絶望の中、多数の絵を引き裂いたため、1909年から1914年までの絵はほとんど残っていない。モネは、気分転換のため、ジヴェルニー自宅に、彫刻家ロダンサージェント詩人ポール・ヴァレリー画商デュラン=リュエル、ベルネーム、劇作家サシャ・ギトリ夫妻日本黒木三次夫妻政治家ジョルジュ・クレマンソーといった友人招き、特に園芸料理話題楽しんだアリス死後は、その娘ブランシュジャンの妻でもあった)がモネ精神的に支えた1914年、大画面作品を描くための新しアトリエを建て、制作再開したこの年モネ作品14点を含む収集家イサック・ド・カモンド伯爵遺品コレクションルーヴル美術館収蔵されることになったが、これは、死後10年たたないルーヴル展示されないという原則からすると異例のことであったモネは、ルーヴル招かれ特別室展示される自作を目にした。第一次世界大戦中1915年初め友人の手紙で、大装飾画を目指していることを初め明かしている。1917年通産大臣エティエンヌ・クレメンテル(フランス語版)がジヴェルニー訪れドイツ軍爆撃受けて破壊されランスノートルダム大聖堂描き、その蛮行明らかにしてほしいとの依頼をし、モネはこれを了承したが、実際に現地爆撃続き制作着手することは難しかった。ただ、政府との関係ができたことで、物資欠乏戦時下で、ガソリン石炭回してもらう便宜を受けることができた。その間アトリエで、高さ2メートル、幅4.3メートル巨大なキャンバスを横に4つなげて睡蓮』大装飾画の制作続けた戦争終わった1918年友人当時首相ジョルジュ・クレマンソーに、勝利を祝って、国に一連の装飾画を寄贈することを約束した当初は、現在のロダン美術館ビロン邸)の庭に円形パビリオン設置し、幅4メートルキャンバス12取りつけられる計画であった。しかし、建物建設にかかる費用問題など当初の計画修正迫られモネ制作自体断念しかけた。クレマンソーモネ強く説得し1921年4月オランジュリー美術館2つホール収容する計画了承させた。 こうして、1922年4月モネ弁護士建築家政府当局との間で寄贈契約署名された。その内容は、19パネル作品8点)を2年以内オランジュリーのモネ・ギャラリーに納入するというものであった。しかしその後白内障のため失明危機直面しクレマンソー仕事放棄しようとするモネ励まし続けた1923年、ようやく右目の白内障の手術を受け、視力ある程度回復した当初約束していた引渡し期限延期し残り生涯をかけて『睡蓮』大装飾画の制作没頭した1924年ジョルジュ・プティ画廊で、生存最大回顧展開催された。 1926年夏の終わり、肺硬化症病床につき、12月5日正午86歳で永眠した息子ミシェルや、ブランシュクレマンソーが彼を看取った。『睡蓮』大装飾画は、テュイルリー公園内のオランジュリー美術館収められ1927年5月17日除幕式が行われた。『睡蓮』の部屋は、モネ考えに従って楕円形の2つ部屋からなりそれぞれ4点の大画面作品構成されている。 モネ晩年には、フォーヴィスムキュビスムなど、次々新し芸術潮流生まれており、当時睡蓮』を顧みる人は少なかったクレマンソーは、1927年6月、「昨日オランジュリー美術館訪れたが、誰一人としていなかった」と書いている。しかし、1950年代になると、ジャクソン・ポロックなど抽象表現主義画家批評家モネ引き合いに出すようになり、改め注目を浴びるようになったアンドレ・マッソンは、『睡蓮』大装飾画を「印象主義システィーナ礼拝堂」と呼びすべての現代人に見ることを勧めた。 『睡蓮1916年油彩キャンバス、200.5 × 201 cm国立西洋美術館。大装飾画のための大型習作(W1800)。 オランジュリー美術館の「睡蓮」の部屋。 オランジュリー美術館平面図2つ睡蓮部屋並んでいる。 『200 × 1,275 cm。 『朝』200 × 1,275 cm。 『のある明るい朝』200 × 1,275 cm

※この「「睡蓮」の部屋(最晩年)」の解説は、「クロード・モネ」の解説の一部です。
「「睡蓮」の部屋(最晩年)」を含む「クロード・モネ」の記事については、「クロード・モネ」の概要を参照ください。

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