「睡蓮」の部屋(最晩年)
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「クロード・モネ」の記事における「「睡蓮」の部屋(最晩年)」の解説
モネは、1909年の個展のとき、『睡蓮』で一室を装飾するという計画を考えついた。しかし、老化にともない視力の低下という問題に直面した。さらに1911年5月には妻アリスが亡くなり、1914年2月には長男ジャンが亡くなるという不幸に見舞われた。印象派の同志たちも次々世を去っていった。絵具の色も判別できないという絶望の中、多数の絵を引き裂いたため、1909年から1914年までの絵はほとんど残っていない。モネは、気分転換のため、ジヴェルニーの自宅に、彫刻家のロダン、サージェント、詩人のポール・ヴァレリー、画商のデュラン=リュエル、ベルネーム、劇作家サシャ・ギトリ夫妻、日本の黒木三次夫妻、政治家ジョルジュ・クレマンソーといった友人を招き、特に園芸と料理の話題を楽しんだ。アリス死後は、その娘ブランシュ(ジャンの妻でもあった)がモネを精神的に支えた。 1914年、大画面作品を描くための新しいアトリエを建て、制作を再開した。この年、モネ作品14点を含む収集家イサック・ド・カモンド伯爵の遺品コレクションがルーヴル美術館に収蔵されることになったが、これは、死後10年たたないとルーヴルに展示されないという原則からすると異例のことであった。モネは、ルーヴルに招かれ、特別室に展示される自作を目にした。第一次世界大戦中の1915年初め、友人への手紙で、大装飾画を目指していることを初めて明かしている。1917年、通産大臣エティエンヌ・クレメンテル(フランス語版)がジヴェルニーを訪れ、ドイツ軍の爆撃を受けて破壊されたランスのノートルダム大聖堂を描き、その蛮行を明らかにしてほしいとの依頼をし、モネはこれを了承したが、実際には現地は爆撃が続き、制作に着手することは難しかった。ただ、政府との関係ができたことで、物資欠乏の戦時下で、ガソリンや石炭を回してもらう便宜を受けることができた。その間、アトリエで、高さ2メートル、幅4.3メートルの巨大なキャンバスを横に4枚つなげて『睡蓮』大装飾画の制作を続けた。戦争が終わった1918年、友人で当時の首相ジョルジュ・クレマンソーに、勝利を祝って、国に一連の大装飾画を寄贈することを約束した。当初は、現在のロダン美術館(ビロン邸)の庭に円形パビリオンを設置し、幅4メートルのキャンバスが12枚取りつけられる計画であった。しかし、建物建設にかかる費用の問題などで当初の計画は修正を迫られ、モネは制作自体を断念しかけた。クレマンソーがモネを強く説得し、1921年4月、オランジュリー美術館の2つのホールに収容する計画で了承させた。 こうして、1922年4月、モネの弁護士と建築家、政府当局との間で寄贈契約が署名された。その内容は、19枚のパネル(作品8点)を2年以内にオランジュリーのモネ・ギャラリーに納入するというものであった。しかしその後、白内障のため失明の危機に直面し、クレマンソーは仕事を放棄しようとするモネを励まし続けた。1923年、ようやく右目の白内障の手術を受け、視力はある程度回復した。当初約束していた引渡し期限を延期し、残りの生涯をかけて『睡蓮』大装飾画の制作に没頭した。1924年、ジョルジュ・プティ画廊で、生存中最大の回顧展が開催された。 1926年の夏の終わり、肺硬化症で病床につき、12月5日正午に86歳で永眠した。息子のミシェルや、ブランシュ、クレマンソーが彼を看取った。『睡蓮』大装飾画は、テュイルリー公園内のオランジュリー美術館に収められ、1927年5月17日、除幕式が行われた。『睡蓮』の部屋は、モネの考えに従って、楕円形の2つの部屋からなり、それぞれ4点の大画面作品で構成されている。 モネの晩年には、フォーヴィスム、キュビスムなど、次々に新しい芸術潮流が生まれており、当時『睡蓮』を顧みる人は少なかった。クレマンソーは、1927年6月、「昨日、オランジュリー美術館を訪れたが、誰一人としていなかった」と書いている。しかし、1950年代になると、ジャクソン・ポロックなど抽象表現主義の画家・批評家がモネを引き合いに出すようになり、改めて注目を浴びるようになった。アンドレ・マッソンは、『睡蓮』大装飾画を「印象主義のシスティーナ礼拝堂」と呼び、すべての現代人に見ることを勧めた。 『睡蓮』1916年。油彩、キャンバス、200.5 × 201 cm。国立西洋美術館。大装飾画のための大型の習作(W1800)。 オランジュリー美術館の「睡蓮」の部屋。 オランジュリー美術館の平面図。2つの睡蓮の部屋が並んでいる。 『雲』200 × 1,275 cm。 『朝』200 × 1,275 cm。 『柳のある明るい朝』200 × 1,275 cm。
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