1900年代後半とは? わかりやすく解説

1900年代後半

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:25 UTC 版)

ドーピング」の記事における「1900年代後半」の解説

1960年ローマオリンピックにおいては自転車ロードレース競技デンマークヌット・エネマルク・イェンセン急死する事件発生調査結果興奮剤服用していたことが判明する1967年ツール・ド・フランス参戦中のトム・シンプソン(イギリスナショナルチーム)がモン・ヴァントゥ直前倒れて急死体内からアンフェタミン、利尿剤アルコールなどが検出され限界超えた走りしたため確認された。 1972年ミュンヘンオリンピック競泳リック・デモントアメリカ)が400m自由形出場し優勝したものの、検査でエフェドリンが検出されメダル剥奪となったドーピング検査による金メダル剥奪第1号選手)。デモントは喘息持病があり、チームドクターらが「エフェドリンは喘息治療欠かせない薬物であり、競技における不正の意図はない」と訴えたが、IOCはこれを退けた医療目的薬物使用したことによる、初のドーピング)。 1976年インスブルックオリンピックの70m級ジャンプ金メダル獲得したハンス=ゲオルク・アッシェンバッハが、1988年西ドイツ亡命後テストステロンとプロビオナートを五輪当時服用していたこと、1983年以降チームドクターとしてナショナルチームジュニアチーム服用させていたことを証言した1988年ソウルオリンピック100m当時世界新記録出したベン・ジョンソンドーピング禁止薬物の検出により失格となり世界中衝撃与えた陸上女子におけるフローレンス・ジョイナーマリタ・コッホ中国馬軍団王軍霞ら)などの当時比べ飛躍的に技術進歩した現代であっても肉薄することすらできない驚異的な世界記録ドーピングよるものではないかという疑惑は現在でもつきまとっている(ただし再検証は困難であるため、記録抹消されていない)。 1980年代旧ソ連東ドイツなどの東側諸国において「ドーピング国家レベル組織的に行われていた」とする証言多数存在している。その残滓とも思われる世界記録今でも多く破られずに残っている。 詳細は「ドイツ民主共和国のスポーツ#ドーピング」を参照MLBケン・カミニティ自己最高の打率.326・本塁打40打点130記録しMVP受賞した1996年ステロイド使用していた事を現役引退後告白した筋肉過剰に強くなったためにその後靭帯や腱などの関節部分相次いで故障し引退後男性ホルモン分泌極端に少なくなる等の後遺症苦しめられ躁うつ状態にもなった。また、少なくとも半数選手ステロイド使用している」と発言した詳細は「メジャーリーグベースボールのドーピング問題」を参照 1998年ツール・ド・フランスで後にフェスティナ事件称される出場21チーム中5チームから不起訴処分体調面の問題告訴取り下げとなった者も含めて最終的に10名以上が告訴されることとなる大規模なドーピングスキャンダル発覚した。 ここで問題となったのはEPOエリスロポイエチン)を使用したドーピングだったが、当時技術では外部から摂取した合成EPOと体内で自然に生成されたものとを区別することができなかったことから禁止物質には指定されていなかった。その為、「そもそも (ルール上の) ドーピングとして取り締まることは可能か」という点で選手側と主催者側とで対立深まりチームによる途中棄権本件発端となり主催者によって除外されフェスティナ加えチーム方針として6チーム棄権した)や全選手によるレース放棄が行われた。 2001年までフェスティナライダーとして出走した9名全員EPO使用したことを認め (但しこの当時科学的証拠は何も無く選手による自白のみだったが後年技術の進歩科学的にドーピング証明された。)、選手個人ではなくチーム主導による組織的なドーピングがあったことを具体的に示す事例となったまた、ドーピング検査行われていたもの現実則していないものだったことが浮き彫りとなった本事件それまでIOC各競技団体独自に主導して行ってきたドーピング検査第三者機関独立して行う必要があるという機運高めることとなった。そして翌年1999年WADA発足した詳細は「フェスティナ事件」を参照 1998年長野オリンピックスノーボード試合金メダル獲得したロス・レバグリアティ (en:Ross Rebagliati)がドーピング検査結果大麻陽性反応出たため、メダル剥奪されかける騒ぎがあった。ただし、オリンピック時点では、既に大麻吸っていなかったことなどから、最終的に処分取り消されている。

※この「1900年代後半」の解説は、「ドーピング」の解説の一部です。
「1900年代後半」を含む「ドーピング」の記事については、「ドーピング」の概要を参照ください。


1900年代後半

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 00:57 UTC 版)

人工知能」の記事における「1900年代後半」の解説

1950年代になるとAIに関して活発な成果出始めた。1956年夏、ダートマス大学入居している建物最上階引き継いだ数学計算機科学者グループ一人である若き教授ジョン・マッカーシーワークショップでのプロポーザルで "Artificial Intelligence" という言葉作り出している。ワークショップ参加者は、オリバー・セルフリッジレイ・ソロモノフマービン・ミンスキークロード・シャノンハーバート・サイモンアレン・ニューウェルなどであったジョン・マッカーシーAIに関する最初会議で「人工知能」という用語を作り出した。彼はまたプログラミング言語LISP開発した知的ふるまいに関するテスト可能にする方法として、アラン・チューリングは「チューリングテスト」を導入したジョセフ・ワイゼンバウムELIZA構築した。これは来談者中心療法を行うおしゃべりロボットである。 1956年行われたダートマス会議開催提案書において、人類史上、用語として初め使用され新たな分野として創立された。 1960年代と1970年代の間に、ジョエル・モーゼスMacsymaマクシマプログラム中で積分問題での記号的推論パワー示したマービン・ミンスキーシーモア・パパートは『パーセプトロン』を出版して単純なニューラルネット限界示し、アラン・カルメラウアーはプログラミング言語 Prolog開発した。テッド・ショートリッフェは医学的診断療法におけるルールベースシステムを構築し知識表現推論パワー示した。これは、最初エキスパートシステム呼ばれることもある。ハンス・モラベックは、障害物があるコース自律的に走行する最初コンピューター制御乗り物開発した1980年代に、ニューラルネットワークはバックプロパゲーションアルゴリズムによって広く使われるようになったまた、この時代ロドニー・ブルックスが、知能には身体必須との学説身体性)を提唱した1990年代AI多く分野様々なアプリケーション成果上げた。特に、ボードゲームでは目覚ましく1992年IBM世界チャンピオン匹敵するバックギャモン専用コンピュータTDギャモン開発しIBMチェス専用コンピュータ・ディープ・ブルーは、1997年5月ガルリ・カスパロフ打ち負かし同年8月にはオセロ日本電気オセロ専用コンピュータ・ロジステロに世界チャンピオン村上健敗れた国防高等研究計画局は、最初湾岸戦争においてユニットスケジューリングするのにAI使い、これによって省かれコスト1950年代以来AI研究への政府投資全額上回ったことを明らかにした。日本では甘利俊一日本学士院会員)らが精力的に啓蒙し、優秀な成果発生したが、論理ブラックボックス性が指摘された。 1998年には非構造化データ形式国際規格であるXML提唱されたが、ここからWeb上の非構造化データに対してアプリケーション別に適した意味付け適用し、処理を行わせる試み開始された。同年に、W3Cティム・バーナーズ=リーにより、Web知的処理を行わせるセマンティック・ウェブ提唱された。この技術Web上のデータに意味を付加してコンピュータ知的処理を行わせる方法国際的に規格化するものである。この規格には知識工学におけるオントロジー表現するデータ形式OWL含まれていることから、かつて流行したエキスパートシステム亜種であることが分かる2000年代前半規格化完了しているが、Web開発者にとっては開発工数見合うだけのメリット見出せなかったことから、現在も普及はしていない

※この「1900年代後半」の解説は、「人工知能」の解説の一部です。
「1900年代後半」を含む「人工知能」の記事については、「人工知能」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「1900年代後半」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「1900年代後半」の関連用語

1900年代後半のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



1900年代後半のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのドーピング (改訂履歴)、人工知能 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS