シャノン【Claude Elwood Shannon】
クロード・シャノン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/02 18:22 UTC 版)
クロード・シャノン Claude Shannon |
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生誕 | クロード・エルウッド・シャノン 1916年4月30日 ![]() ![]() |
死没 | 2001年2月24日(84歳没)![]() ![]() |
国籍 | ![]() |
研究分野 | 数学および電子工学 |
研究機関 | ベル研究所 マサチューセッツ工科大学 プリンストン高等研究所 |
出身校 | ミシガン大学 マサチューセッツ工科大学 |
博士課程 指導教員 |
フランク・ヒッチコック |
博士課程 指導学生 |
アイバン・サザランド バート・サザランド |
主な業績 | 情報理論 シャノン符号化 シャノン=ハートレーの定理 標本化定理 シャノンの通信路符号化定理 シャノンのスイッチングゲーム シャノン数 シャノン指数 シャノンの情報源符号化定理 シャノンの展開定理 シャノン=ウィーバーのコミュニケーションモデル ホイタッカー=シャノンの補間公式 |
主な受賞歴 | IEEE栄誉賞(1966年) アメリカ国家科学賞(1966年) ハーヴェイ賞(1972年) 京都賞基礎科学部門(1985年) |
プロジェクト:人物伝 |
クロード・エルウッド・シャノン(Claude Elwood Shannon, 1916年4月30日 - 2001年2月24日)はアメリカ合衆国の電気工学者、数学者。
情報理論の考案者であり、「情報理論の父」と呼ばれた。情報、通信、暗号、データ圧縮、符号化など今日の情報社会に必須の分野の先駆的研究を残した。アラン・チューリングやジョン・フォン・ノイマンらとともに今日のコンピュータ技術の基礎を作り上げた人物として、しばしば挙げられる[※ 1]。
20世紀科学史における、最も影響を与えた科学者の一人である。
生涯
若年期と教育
シャノンが生まれたとき、家族はミシガン州ゲイロードに住んでおり、クロードは近くのペタスキーの病院で生まれた[1]。 父のクロード・シニア(1862-1934)は実業家で、ゲイロードの検認判事を務めたこともある。母のメイベル・ウルフ・シャノン(1890-1945)は語学の教師で、ゲイロード高校の校長も務めた[2]。父方の祖先はニュージャージーへの入植者であり、母はドイツ系移民の子供だった[1]。
シャノンはゲイロードで育ち、1932年にゲイロード高校を卒業した。シャノンは機械や電気に興味を持っていた。得意科目は理科と数学だった。家では、飛行機の模型やラジコンボートを作ったり、半マイル離れた友人の家まで電線を張って電信システムを構築したりしていた[3]。高校時代には、ウエスタンユニオン社の電報配達のアルバイトや百貨店でのラジオ修理などをしていた[4]。
シャノンは子供時代にトーマス・エジソンに憧れていたが、後に自身の遠縁に当たることを知った。どちらの家系も、植民地時代の指導者で多くの著名人の祖先であるジョン・オグデン(1609-1682)の子孫である[5][6]。
1932年にミシガン大学に入学し、そこでジョージ・ブールの研究に触れた。1936年、電気工学と数学の学士号を取得して卒業した。
研究生活
ミシガン大学を卒業したシャノンは、マサチューセッツ工科大学の電気工学科に進んだ。そこでヴァネヴァー・ブッシュの下、微分解析機の保守に携わった。1937年の夏、ベル研究所でブール代数とスイッチング回路の融合を考えつき、同年、修士論文「リレーとスイッチ回路の記号論的解析」としてまとめた(詳細は#デジタル回路設計の創始者を参照)。翌年、この論文はアメリカ電気学会報に掲載され、1940年には、35歳未満の研究者による優れた工学論文に贈られるアルフレッド・ノーブル賞[※ 2]を受賞した[4]。
1938年の末、ブッシュの助言によりMITの電気工学科から数学科に移籍した。そこで遺伝学の研究を行い、博士論文「理論遺伝学のための代数学」で博士号を取得した[4]。
1940年の夏をベル研究所で過ごしたのち、学術研究会議の研究費を得てプリンストン高等研究所に1年間滞在し、ヘルマン・ワイルの下で研究した。その後再びベル研究所に戻り、数学研究部門の常勤専門職員となった[4]。
1956年に電子工学研究所(RLE)の研究員としてMITの教員となった。1978年までMITの教員として務め続けた。
晩年
後年、シャノンはアルツハイマー病を発症し、晩年をナーシングホームで過ごした。2001年に、妻と息子と娘、そして2人の孫娘を遺して亡くなった[7][8]。
功績
デジタル回路設計の創始者
1937年のマサチューセッツ工科大学での修士論文「リレーとスイッチ回路の記号論的解析」[9]において、電気回路(ないし電子回路)が論理演算に対応することを示した。すなわち、スイッチのオン・オフを真理値に対応させると、スイッチの直列接続はANDに、並列接続はORに対応することを示し、論理演算がスイッチング回路で実行できることを示した[10]。これは、デジタル回路・論理回路の概念の確立であり、それ以前の電話交換機などが職人の経験則によって設計されていたものを一掃し、数学的な理論に基づいて設計が行えるようになった。どんなに複雑な回路でも理論に基づき扱えるということを主張したのは、コンピュータの実現に向けた大きなステップである。
ハーバード大学教授のハワード・ガードナー(Howard Gardner)は、この論文について「たぶん今世紀で最も重要で、かつ最も有名な修士論文」と評した。ただし、わずかな時間差であるが、中嶋章による発表の方が先行しており(論理回路#歴史を参照)、独立な成果か否かは不明とされている。
情報理論の考案
1948年ベル研究所在勤中に論文「通信の数学的理論」[11]を発表し、それまで曖昧な概念だった「情報」(information)について定量的に扱えるように定義し、情報についての理論(情報理論)という新たな数学的理論を創始した。
翌年ウォーレン・ウィーバーの解説を付けて出版された同名(ただし“A”が“The”に変わっている)の書籍『通信の数学的理論』[12]で、シャノンは通信におけるさまざまな基本問題を取り扱うために、エントロピーの概念を導入した。情報の量(情報量)を事象の起こる確率(生起確率)によって定義し、エントロピー(平均情報量)を次のとおりに定義した。時間的に連続して起こる離散的な確率事象
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