クロード・シャブロルとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 製作者 > 映画製作者 > フランスの映画監督 > クロード・シャブロルの意味・解説 

シャブロル【Claude Chabrol】


クロード・シャブロル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/06 09:04 UTC 版)

クロード・シャブロル
Claude Chabrol
(2008年、アミアン国際映画祭にて)
本名 Claude Henri Jean Chabrol
生年月日 (1930-06-24) 1930年6月24日
没年月日 (2010-09-12) 2010年9月12日(80歳没)
出生地 フランスパリ
死没地 フランス・パリ
職業 映画監督、脚本家
ジャンル 映画・テレビ
活動期間 1956年 - 2010年
配偶者 アニエス・グート(1952年 - 1964年)※離婚
ステファーヌ・オードラン(1964年 - 1980年)※離婚
オロール・シャブロル(1981年 - 2010年)※死別
著名な家族 トマ・シャブロル(息子)
マチュー・シャブロル(息子)
主な作品
いとこ同志
受賞
ベルリン国際映画祭
金熊賞
1959年いとこ同志
国際映画批評家連盟賞
1973年『血の婚礼』
功労賞
2009年
ヨーロッパ映画賞
生涯貢献賞
2003年
全米映画批評家協会賞
外国語映画賞
1996年沈黙の女/ロウフィールド館の惨劇
ニューヨーク映画批評家協会賞
外国語映画賞
1989年主婦マリーがしたこと
ロサンゼルス映画批評家協会賞
外国語映画賞
1989年主婦マリーがしたこと
1996年沈黙の女/ロウフィールド館の惨劇
その他の賞
ルイ・デリュック賞
2000年ココアをありがとう
テンプレートを表示

クロード・シャブロル(Claude Chabrol, 1930年6月24日 - 2010年9月12日)は、フランス映画監督映画プロデューサー脚本家ヌーヴェルヴァーグを代表する監督の一人。

来歴・人物

パリに生まれる。父は薬剤師。自身も薬学を専攻。

1952年6月、最初の結婚をする。妻アニエスとの間には、ジャン=イヴとマチュー・シャブロルの2人の息子がいる。

1953年、初代編集長アンドレ・バザン時代の『カイエ・デュ・シネマ』誌で映画評を書き始める。このときのペンネームはシャルル・エテル (Charles Eitel) とジャン=イヴ・グート (Jean-Yves Goute) 名義。のちのヌーヴェル・ヴァーグの旗手たち、批評家時代のジャン=リュック・ゴダールジャック・リヴェット、兵役から帰ったばかりのフランソワ・トリュフォーらと出会う。当時、それと平行して『ミステール』誌に探偵小説を書き、20世紀フォックスのパリオフィスで宣伝アシスタントの仕事をしていた。

1956年、妻の祖母から相続した巨額の遺産で製作会社AJYMフィルムを設立してリヴェットの短編『王手飛車取り』を製作し、脚本をリヴェットと共同執筆したうえ、ゴダールやトリュフォー、リヴェットとともに出演する。ヴィルジニー・ヴィトリ、ジャック・ドニオル=ヴァルクローズジャン=クロード・ブリアリが主演し、ジャン=マリー・ストローブが助監督であった同作は、シャブロルをはじめ彼らにとって初のプロフェッショナルな短編映画製作となった。

1957年エリック・ロメールとの共著『ヒッチコック』が出版される[1]。ヒッチコックはサスペンス主流のシャブロルの作品に大いに影響を与えている。

1958年8月、監督デビュー作の『美しきセルジュ』がスイスのロカルノ国際映画祭で上映。9月にはヴェネツィア国際映画祭で公開される(フランスでは1959年1月10日に一般公開された)。同作品はジャン・ヴィゴ賞を受賞。

同年7月から11月にかけてリヴェットの処女長編『パリはわれらのもの』の撮影が行われる[2]。同作品はトリュフォーの会社レ・フィルム・デュ・キャロッスとシャブロルのAJYMフィルムとの共同製作で、シャブロル、リヴェット、ゴダール、ジャック・ドゥミらが出演した。公開は1961年12月と遅れたが、トリュフォーは『突然炎のごとく』の劇中でジャンヌ・モローにこの作品のタイトルを叫ばせている。

1959年3月11日公開の監督第2作『いとこ同志』(第9回ベルリン国際映画祭金熊賞受賞)が興行的にも成功をおさめ、この収入がロメールの処女長編『獅子座』の製作費に当てられ、1959年夏のパリで撮影されることになる[3]

1962年にアニエスと離婚し、女優ステファーヌ・オードラン1963年4月24日にはオードランの間にすでに息子トマ(現俳優)をもうけ、翌年に正式結婚。しかし、1980年にオードランと離婚して1983年には古くからのスクリプトを担当していたオロール・パキスことオロール・シャブロルと再々婚した。

1995年、永年の業績に対して第12回ルネ・クレール賞を受賞。1985年の『意地悪刑事 Poulet au vinaigre』(日本未公開、東京日仏学院での特集上映題)以降、晩年のほぼすべての作品をマラン・カルミッツがプロデュース、カルミッツの会社MK2が出資している。

2010年9月12日早朝、パリにて死去[4]

主なフィルモグラフィー

監督作品

いとこ同志』(1959年)
二重の鍵』(1959年)

出演作品(自作は除く)

著作

脚注

  1. ^ Éric Rohmer, Claude Chabrol, Hitchcock, Paris, Éditions Universitaires, collection Classiques du cinéma, 1957年 (1992年英語版、ISBN 1-85710-006-9)
  2. ^ Sante, Lucy (2016年3月8日). “Paris Belongs to Us: Nothing Took Place but the Place” (英語). The Criterion Collection. 2018年7月7日閲覧。
  3. ^ Zappoli 1998, p. 23.
  4. ^ 「ヌーヴェルヴァーグ」の旗手クロード・シャブロル監督が80歳で死亡”. シネマトゥデイ (2010年9月13日). 2021年2月27日閲覧。

参考文献

外部リンク




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「クロード・シャブロル」の関連用語

クロード・シャブロルのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



クロード・シャブロルのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのクロード・シャブロル (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS