レ・フィルム・デュ・キャロッスとは? わかりやすく解説

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レ・フィルム・デュ・キャロッス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/12/17 09:53 UTC 版)

レ・フィルム・デュ・キャロッス仏語:Les Films du Carrosse、豪華四輪馬車の映画社の意)は、フランスの映画製作会社。映画監督フランソワ・トリュフォーによって設立され、トリュフォー監督作の大半およびジャン=リュック・ゴダール監督作のうち数本を製作した。

来歴・概要

1957年、フランスの大手配給会社コシノールの社長令嬢と結婚したトリュフォーは、妻の父の援助を得て同社を設立、社名はジャン・ルノワール監督の映画『黄金の馬車』(Le Carrosse d'or 1953年)へのオマージュをこめて命名された。設立第一作はトリュフォーの短編映画第2作『あこがれ』。

1958年、同社は、第2作として18歳のベルギー人監督ハリー・クメル(Harry Kümel1940年 - )、脚本ジャン・コクトーによる短編映画『Anna la bonne』を製作、同1958年同社にとってもトリュフォーにとっても長編第一作となる『大人は判ってくれない』をSEDIF(コシノールの子会社)とともに共同製作、翌1959年5月4日フランスで公開、大ヒットを記録する。

フィルモグラフィー

トリュフォー以外

タイトル
原題
監督
製作年
備考
邦題なし/ Anna la bonne ハリー・クメル 1958年
はりはわれらのもの/パリはわれらのもの Paris nous appartient ジャック・リヴェット 1960年
のらくらへい62/のらくら兵62 Tire-au-flanc 62 クロード・ド・ジヴレー
トリュフォー (共同監督)
1960年
おうこんちゆう/こかねむし/(黄金虫) Le Scarabée d'or ロベール・ラシュネー 1961年
また・はり/マタ・ハリ Mata-Hari ジャン=ルイ・リシャール 1964年
かのしよについてわたしかしつているにさんのことから/彼女について私が知っている二、三の事柄 2 ou 3 choses que je sais d'elle ジャン=リュック・ゴダール 1967年 アルゴス・フィルム、アヌーシュカ・フィルムと共同製作
はたかのようねんしたい/裸の幼年時代 L'Enfance nue モーリス・ピアラ 1968年 レ・フィルム・ド・ラ・プレイヤード、レ・フィルム・デュ・ローザンジュら数社と共同製作
もおとけのいちや/モード家の一夜 Ma nuit chez Maud エリック・ロメール 1969年
むうれしんふのつみ/ムーレ神父の罪 La Faute de l'abbé Mouret ジョルジュ・フランジュ 1970年
邦題なし/ Les Lolos de Lola ベルナール・デュボワ 1976年
うつくしきけつこん/美しき結婚 Le Beau mariage エリック・ロメール 1982年
ひかり/ひかり Yeelen スレイマン・シセ 1987年 レ・フィルム・シセほか数社と共同製作。 トリュフォー死後第一作。
ちいさなとろほう/小さな泥棒 La Petite voleuse クロード・ミレール 1988年

関連項目

外部リンク




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