1次抗争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/23 17:58 UTC 版)
1900年代後半、シチリアのパレルモ出身のサルヴァトーレ・ダキーラがマンハッタンのハーレムでギャング団を率いた。1910年、コルレオーネ系のモレロ一家ボスのジュゼッペ・モレロが監獄送りになった時、「ボスの中のボス」を宣言し、1910年代前半モレロ一家残党と抗争した。モレロと共に監獄送りになったイニャツィオ・ルポ(パレルモ派閥)の後継者を自任し、その縄張りを継いだとの説がある。 当時パレルモルーツのマフィアにダキーラ派とアル・ミネオ派があり、アル・ミネオ派はモレロ派残党やカステランマレーゼ派(以下カステラマレ派と表記)と同盟してダキーラに対抗した。1910年代中頃にかけモレロ一家から離脱する有力メンバーの暗殺とその報復が続き、ハーレムが流血バトルの舞台になった。1910年代後半、モレロ一家がブルックリンのカモッラ勢力の挑戦を受け抗争している間、ダキーラ派は勢力を伸張し、禁酒法時代ブルックリンに拠点を広げた。ダキーラはライバル勢力にスパイを送り込み、危険分子を粛清するなど水面下の策謀に長けたと言われる。ダキーラはまた、クリーヴランド、シカゴ、ボストン、フィラデルフィア、ニューオリンズなど全米各都市のシチリアマフィア勢力とネットワークを築いていた。
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