ジュゼッペ・モレロ
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ジュゼッペ・モレロ(Giuseppe Morello, 1867年5月2日 - 1930年8月15日)は、シチリア出身のニューヨークのマフィアボス。20世紀初頭のアメリカで組織犯罪の走りとされるモレロ一家を創始した。後期はピーター・モレロと呼ばれた。親称ピッドゥ“Piddu”、あだ名はクラッチハンド。
注釈
- ^ 1910年の裁判でチロ・テラノヴァがモレロが渡米してニューヨークに定住するまでの経緯を証言した[9]。
- ^ 1895年に紙幣偽造で捕まったステラ・フロート率いる紙幣偽造シンジケートには後にモレロ一家の協力者になるサルヴァトーレ・クレメンテがいた[13]。クレメンテは1902年にもヴィト・カッショ・フェロなどと共に紙幣偽造で逮捕された[12]。モレロがニューヨークに戻った頃、ロウアーマンハッタンを支配したパレルモ派マフィアボスのカンデレロ・ベッティーニとニコラス・タラントが紙幣偽造で刑務所送りになった[2]。
- ^ モレロに雇われていた召使い"モーリー"・ キャラハンが突然行方不明になり、当局はモレロの偽造犯罪に巻き込まれて殺されたと疑った[15]。
- ^ パレルモマフィアの家系。殺人容疑でパレルモ警察に追われ、1899年に渡米した。ブルックリンなどに住んでいたが、1901年マンハッタンに移った[16][17]。
- ^ 1900年シチリアの監獄を出所して程なく貿易商人を装って渡米した。1901年9月より2年半ニューヨークに滞在し、その後ニューオリンズに半年いた。1904年9月シチリアに帰国[18]。
- ^ 後年、政府内通者に転じた犯罪仲間サルヴァトーレ・クレメンテが、カターニア殺しはモレロとドミニコ・ペチョラーロが首謀したと証言した[12]。
- ^ 1960年代ルッケーゼ一家相談役だったマリアーノ・マカルーソの実父[20]。
- ^ 首は殆ど切断され、60個の刺し傷があった。ディプリモの裏切り(自白・密告)を理由とする見せしめ粛清説(USSSフリン)、モレロが金を払わなければ当局に密告すると脅かしたマドニアの口封じ説などがある。後者が定説に近い[23]。
- ^ 木の樽は、組織メンバーのピエトロ・インゼリッロのパン屋にあった砂糖の樽と同じで、発送元のパン製造工場からインゼリッロが砂糖を注文して付け届けられたことが判明した他、木の樽の中に残っていた煙草の吸殻と同じイタリアブランドの黒い煙草がモレロの酒場にあった[23][24]。
- ^ 1910年までに70人が摘発されたが、残党が残った[27]。
- ^ モレロとジョゼフ・フォンタナが当時シチリア島にいたヴィト・カッショ・フェロに暗殺を依頼したという説。カッショ・フェロが殺害関与の疑いで逮捕された時ペトロジーノの写真を持っていたとされる[29]。
- ^ フリン捜査官率いるスパイチームの尾行・追跡による[30]。
- ^ 1912年、義弟ニコラス・テラノヴァがフリン捜査官の子供を誘拐することを企てた。移民に変装した捜査官がニコラスと仲間ジョー・ディマルコの会話を盗み聞きし、誘拐を企てていることを知った。実行すればモレロの恩赦のチャンスは無くなるため、誘拐を断念したと伝えられた。さらに政界への影響力を増やそうと政治クラブまで作った[22]。
- ^ 政府証言者に転じたサルヴァトーレ・クレメンテがモレロ収監後のニューヨーク・マフィア情勢を証言した[34]。
- ^ 一説に犯人はベネディット・マドニアの甥ロッコ・タパノとされる[22]。
- ^ 一説に、1920年までにロモンテ兄弟やテラノヴァ兄弟に代わってハーレムのマフィアボスになっていたサルヴァトーレ・ロイアカーノにボスの座を降りるよう要求し、これを拒んだロイアカーノを、1920年12月、暗殺した。サルヴァトーレ・ダキーラに据えられた傀儡ボスだったという。
- ^ 1921年半ば、ダキーラはマフィア会議でジュゼッペを含むモレロギャング全員に死の宣告を出した[2][37][24]。
- ^ マッセリアは、周りにいた古い世代のシチリアマフィアに配慮して、モレロをボスの中のボスとして担ぎ上げ、批判をかわしたとも言われた[38][39]。
- ^ ボナンノ、ニコラ・ジェンタイル等、内部関係者の見方。
- ^ パレルモ出身のマフィアリーダーの1人で、1910年代ダキーラ派とモレロ派の抗争でモレロ側に付き、ダキーラと敵対した過去がある[41][34]。
- ^ ボナンノによれば、モレロはパレルモでマランツァーノと既に面識があったという[43]。モレロがシチリアを離れた1892年時点でマランツァーノは6歳か7歳であり、パレルモでマランツァーノと会っていたのが本当とすれば、モレロが出所後にシチリアに一時帰国した時以外にない。その頃のモレロはダキーラに対抗するためシチリアのローカルマフィアの間を奔走していた。
- ^ 事務所にいた仲間2人が巻き添えになり、1人は絶命、1人は死を免れた。モレロは全く危険を察知しておらず、無防備で銃も持たずにドアを開けたことから、抗争をしている認識がなかったとみられた[39]。
- ^ ヴァラキは、当時マランツァーノの暗殺チームで働き、複数の暗殺現場に居合わせ、その模様を詳細に証言した。多くのマフィア史家によるバスターの特定が徒労に終わった後、バスターは、自分の殺人行為を隠ぺいするためにヴァラキがねつ造した架空の人物との説が浮上し、一説にヒットマンはヴァラキ本人とされる[48]。
- ^ マッセリアがダキーラに代わる新しい権力を裏付けするために引退の身だったモレロを再びマフィアの世界に引き込んだとされる[36]。
出典
- ^ The Origin of Organized Crime in America: The New York City Mafia, 1891–1931 David Critchley, 2008, P. 52
- ^ a b c d e f g h i j The Underworld Career of Giuseppe Morello (1867-1930) Thomas Hunt, 2015
- ^ a b Critchley, P. 52
- ^ The History of the Mafia -THE MORELLO-TERRANOVA FAMILY Nigel Cawthorne, 2011, P. 59
- ^ a b The Definitive History of the Genovese Family Gangster Inc
- ^ a b Critchley, P. 37
- ^ The Barrel Mystery William J. Flynn, Chief of the United States Secret Service, 1919, P. 245 - P. 248
- ^ a b c d CAGED WOLVES TIMELINE Part 1
- ^ Critchley, P. 54
- ^ a b c Critchley, P. 38
- ^ a b c d e f g h Giuseppe Morello Gang Rule
- ^ a b c d The Early Years Jon Black, Gang Rule
- ^ a b Critchley, P. 39
- ^ FBIの前身。紙幣偽造犯罪を担当。
- ^ a b c d Terror of the Black Hand (La Mano Nera) Society in America
- ^ Ignazio Lupo Gang Rule
- ^ Critchley, P. 47
- ^ Critchley, P. 40
- ^ a b History of Organized Crime, Timeline Part 2. 1900-1919
- ^ Critchley, P. 46
- ^ Flynn, P. 28 - P. 30,
- ^ a b c d e f g Mafia: The Morello Family Jon Black, Gang Rule
- ^ a b The Barrel Murder Jon Black, Gang Rule
- ^ a b c d Peter Morello La Cosa Nostra Database
- ^ Critchley, P. 51
- ^ a b National Advocate (Bathurst, NSW), 1912.7.29
- ^ The Artichoke King of New York
- ^ The First Family: Terror, Extortion and the Birth of the American Mafia - Rogue's Gallery - Giuseppe Morello, Mike Dash, 2009
- ^ Cosa Nostra: A History of the Sicilian Mafia, John Dickie, 2015, P. 174
- ^ a b Flynn, P. 32
- ^ The Morello and Lupo Trial Jon Black, Gang Rule
- ^ Critchley, P. 48
- ^ The First Family: Terror, Extortion and the Birth of the American Mafia Mike Dash, P. 233
- ^ a b The Struggle for Control - The Gangs of New York
- ^ a b CAGED WOLVES TIMELINE Part 3
- ^ a b c d e THE MORELLO FACTION - BIOS., Giuseppe Morello, Piddu
- ^ Critchley, P. 155
- ^ a b Biography of Giuseppe Masseria Mafia Membership Charts
- ^ a b c The Mob And The City,, C.Alexander Hortis, Chapter3 :The Mafia Rebellion of 1928-1931 and The Fall of The Boss of The Bosses
- ^ Critchley, P. 149
- ^ a b Critchley, P. 157
- ^ A Man of Honor: The Autobiography of Joseph Bonanno, P. 98-101
- ^ Critchley, P. 178
- ^ Dash, P. 338
- ^ 'Guns Snuff Out Life of 'Clutch' and Companion The Brooklyn Daily Eagle, P. 18, 1930.8.16付
- ^ Three are Killed in Gang Shootings 1930.8.16付
- ^ Vito Bonventre La Cosa Nostra Database
- ^ Castellammarese War (Part One) American Mafia
- ^ Dash, P. 61
- ^ Mafia: The Morello Family - Structure & Power Jon Black, Gang Rule
- 1 ジュゼッペ・モレロとは
- 2 ジュゼッペ・モレロの概要
- 3 脚注
- ジュゼッペ・モレロのページへのリンク