技術の進歩とは? わかりやすく解説

技術の進歩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 17:45 UTC 版)

ダム」の記事における「技術の進歩」の解説

ヨーロッパでローマ帝国時代上水道供給目的としたダム建設が盛んとなり、現在でもフランスイタリアなどに堤高20メートル規模ダム現存、あるいは廃墟として残っている。この頃初めダム建設コンクリートローマン・コンクリート)が使われ止水用にモルタル用いられた。日本においては灌漑用として稲作発展と共に多数ダム建設され現存しているが、1128年大治3年)に大和国奈良県)に建設され大門池は高さ32.0メートル当時としては世界一の高さであった14世紀頃になるとスペイン各地ダム建設が行われ、特に14世紀末建設されたアルマンサダムはそれまで世界一であった大門池の高さを塗り替えて世界一躍り出た。さらに1594年完成したアーチ式コンクリートダムのチビダム(別名アリカンテダム)は高さ41.0メートルとアルマンサダムの記録塗り替え以後300年間に亘って記録破られることがなかった。このように中世においてはスペインが、ダム技術世界屈指誇っていた。 この時期まで世界で建設されダムおおむね上水道灌漑といった利水目的で、洪水調節を行う治水目的ダム建設されていなかった。だが、17世紀に入るとヨーロッパ諸国治水目的のためのダム建設計画され、さらに洪水耐えうるだけのダム型式としてダム自重重力利用して堤体安定化させる重力式コンクリートダム技術研究・開発されだした。フランスではナポレオン3世により河川開発強力に推進され1858年にはロアール川洪水調節ダム建設された。プロイセンでは1833年以降比較巨大なコンクリートダム建設進められるようになった日本では遅れること1920年代コンクリートダム建設盛んになり、1924年大正13年)には当時世界のビッグ・プロジェクト」と称えられ大井ダム木曽川)を建設日本支配下にあった外地でも大型ダム整備進めた台湾では1930年昭和5年)に烏山頭ダム完成して嘉南大圳嘉南平原沃野変えた水路網)の要となった1937年昭和12年)には旧満州当時東洋一といわれた豊満ダム(高さ90.0メートル)が、朝鮮半島鴨緑江では水豊ダム(高さ107.0メートル)が1942年昭和17年)に竣工し世界ダム技術追いついて行くようになった

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技術の進歩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 04:29 UTC 版)

アメリカ合衆国の鉄道史」の記事における「技術の進歩」の解説

19世紀後半になると、鉄道技術さらなる進歩見せた開業当初曲がりくねった貧弱な線路は、19世紀後半になると次第改良進められた。それまで外国からの輸入多く頼っていた鋼製レール国産化進み多く鉄道会社1860年代から1870年代にかけて鋼製レールへの転換進んだ鉄道が、製鉄業の必要とする鉄鉱石石炭大量に安く輸送し、またレール車両の形で鋼鉄大量消費者となることで製鉄業急速に成長し鉄道産業続いてアメリカで2番目の年間10億ドル規模産業となった1890年代にはほぼすべての鉄道網鋼製レール使用するようになった。また木造橋梁落橋事故相次いで非難浴びていたこともあり、鋼製鉄道橋への架け替え工事進められた。 蒸気機関車は、1860年代から1870年代にかけて石炭燃料化が進んだ。これはさすがの豊富な森林資源も切り尽くし始めたところが出てきたからで、石炭燃焼適した火室構造工夫されたこともあり、単位体積あたりの熱量木材の3倍近い石炭採用進んだ構造的に長らく車軸配置4-4-0アメリカン型がアメリカ中で使用されている時代続いていたが、やがて大型化求められるようになった牽引力を増すために動輪の数が増やされ大型化した火室支えるために従輪付けられるようになった。また19世紀末ドイツ発明され過熱蒸気を使う技術蒸気機関車効率大幅に向上させた。機関車用途に応じて様々な形態のものが開発された。たとえばリーハイ・バレー鉄道では無煙炭を燃やすためにウーテン火室装備し運転台ボイラーの脇に配置したキャメルバック式蒸気機関車開発した。また蒸気膨張力を有効に生かすためにサミュエル・ボークレインは、複数シリンダーの間で2段階に分けて蒸気膨張させる複式機関原理に基づく機関車開発した車軸配置4-4-2の「アトランティック」、車軸配置4-6-2の「パシフィック」など新しい車軸配置機関車次々開発された。スイスアナトール・マレー1888年開発した関節蒸気機関車一種マレー式機関車は、走り装置2組備えてその間支点車体向き変えられるようになっており、曲線走行性能確保しながら高い出力出せるようになっていた。また、2組走り装置の間で複式機関となるようになっていた。この方式はアメリカで採用され広まったが、ボイラー大型化して十分な蒸気供給できるうになるにつれてアメリカでは複式機関仕組み廃止して高圧蒸気すべてのシリンダーへ送る「単式マレー」を使うようになっていった。大型化したボイラー合わせて火室大型化石炭消費量増大したことから、1905年ペンシルバニア鉄道自動給炭機導入され機関助士作業軽減したグレート・ノーザン鉄道アッチソン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道サザン・パシフィック鉄道などでは、単位重量あたりの熱量石炭より大きい石油燃料とすることを試行しはじめ、サザン・パシフィック鉄道ではこれを利用して運転室ボイラーより前にあるキャブ・フォワード型蒸気機関車実現した。 この時代鉄道の電化始まったミルウォーキー鉄道では、峠を越える勾配区間長いトンネル区間において電化実施し電気機関車運転した。またニューヨーク・セントラル鉄道ペンシルバニア鉄道マンハッタン市街地地下線建設して乗り入れるようになり、この地下線電化されて、地方から蒸気機関車牽引されニューヨークにやってきた列車は、手前の駅で電気機関車に付け替えられニューヨークターミナル駅到着するようになったイギリス発明された頃の鉄道車両にはろくなブレーキがついておらず、人力制輪子車輪押し当てて止めるきわめて非力なものしかなかった。やがて蒸気ブレーキ、そして本格的な真空ブレーキ発明されたが、アメリカの鉄道では長く制動手人力ブレーキを掛ける時代続いた機関士停止合図汽笛を鳴らすと、各車両乗務している制動手手ブレーキハンドル回してブレーキ掛けていた。制動力きわめて弱かった上に、車両屋根の上制動手走り回って車両ブレーキ操作していたため、制動手転落事故相次いでいた。ジョージ・ウェスティングハウスは、空気圧縮機使って圧縮空気作り、各車両張り巡らした配管でブレーキシリンダーに圧縮空気供給して機関士ブレーキ操作だけで列車すべての車両強力なブレーキをかけることのできる空気ブレーキ1869年発明した。この時点ではまだ、ブレーキ管が破損して空気抜けるとブレーキがかからなくなってしまうという欠点のある直通ブレーキであったが、1872年には空気抜けると自動的にブレーキがかかるフェイルセーフ自動空気ブレーキ発明された。 一方、この時代連結器はピン・アンド・リンク式のもので、連結作業に際して連結手が車両間に立ち一方車両相手車両接触する瞬間ピン差しまなければならず、腕や指を失う事故は当たり前といった大変危険な作業であった。この状況を見かねたイーライ・ジャニーは、1868年連結器同士接触するだけで人手介することなく自動的に連結が行われる自動連結器発明した。これ以前にも、一部客車にはミラー連結器などが採用されていたが、ジャニー式の連結器はこれに比べて信頼性高く、重い貨物列車での使用にも耐える優れたものであった。 しかしせっかく発明され自動空気ブレーキ自動連結器はなかなか採用が進まなかった。どちらもペンシルバニア鉄道シカゴ・バーリントン・アンド・クインシー鉄道での実験により改良進められ優れた発明であることは分かっていた。自動空気ブレーキ高価な空気圧縮機機関車搭載しなければならず、「人命より高価」であるとされた。また自動連結器については、部分的な交換はできず連絡するすべての鉄道会社打ち合わせて同時に交換しなければならないことが大きな障害となっていた。しかし人命軽視への批判高まりアイオワ州牧師ロレンツォ・コフィン (Lorenzo Coffin) による粘り強い運動功を奏し1893年3月鉄道安全装置法制定されアメリカ合衆国内運行されるすべての列車自動空気ブレーキ自動連結器使用義務付けられた。これにより安全性大きく向上し事故による鉄道員死傷60パーセント減少した。さらに、当初費用がかかりすぎると思われていたこれらの装備実際に使用してみると、連結作業の手間が減り重く高速列車運行できることから、かえって費用節約できることが判明した。 安全運行のための信号保安技術もこの時代発展した線路区間ごとに区切って信号機によりその区間同時に進入できる列車を1本に限定することで列車同士衝突を防ぐ、鉄道における保安基本原則である「閉塞」を実現するための装置は、イギリスではエドワード・タイヤー (Edward Tyer) が1852年に既に発明していた。アメリカで最初に手動式閉塞装置考案し導入したのは、ユナイテッド・ニュージャージー鉄道運河技術者アシュベル・ウェルチ (Ashbel Welch) で、1865年のことであったウェルチは、イギリスのタイヤーの発明とは独立にこの発明行った考えられている。 またイギリスジョン・サクスビー1856年に、分岐器信号機連動させて、正し方向分岐器開通してなければ列車に対して進行許可できないようにする連動装置開発した1870年代頃にはこの装置アメリカの鉄道でも普及し信号扱い手の取扱ミスによる事故防止したレール電流流して車輪車軸両方レール短絡することを利用して列車存在検知する装置である軌道回路も、ウィリアム・ロビンソン (William Robinson) が1872年発明して、フィラデルフィア・アンド・エリー鉄道英語版)のペンシルベニア州キンズア (Kinzua) において最初に設置され実用化された。これにより、それまで人間注意力手動操作頼って信号機操作していたのが、列車の運行に応じて自動的に切り替えられるようになり、現代自動信号機仕組みできあがった1891年には、狭軌のボストン・リビア・ビーチ・アンド・リン鉄道英語版)で初めて、運転士信号無視をしたときに自動的に列車止める自動列車保安装置実験的に導入された。運転時隔短く乗客が多いため事故被害大きくなりがちな都市鉄道導入進んだが、1910年には従来型幹線鉄道であるペンシルバニア鉄道においてもこうした保安装置導入された。

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技術の進歩

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モスクワ・シグナル事件」の記事における「技術の進歩」の解説

冷戦は、ソビエト共産主義膨張主義政策とイデオロギー脅かしたトルーマン・ドクトリン」の署名から始まった考えられている。「冷戦」という用語は、関係する2つ大国米国ソビエト連邦の間に実際大規模な戦闘がなかったため、この戦争説明するために使用される冷戦軍備拡張競争として戦い冷戦スパイ活動英語版)に依存して相手国に損害与えた。モスクワ・シグナルは、一般に米ソデタント」と呼ばれる冷戦時代使用され人間諜報機関を必要とせずに他国送信スパイするために使用される監視技術一例である。

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技術の進歩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 14:56 UTC 版)

11千年紀以降」の記事における「技術の進歩」の解説

現在からの年数出来事 10,000 ロング・ナウ協会幾つかの進行中のプロジェクト期限プロジェクトには10,000年の間動作するロング・ナウ時計、ロゼッタプロジェクト、ロングベットプロジェクトが含まれる。またHD-Rosettaの寿命。HD-Rosettaは集束イオンビームニッケルプレート情報書き込む技術で、ロスアラモス国立研究所によって開発されて、後に商業化された(ロセッタプロジェクトはこの技術使われており、ロゼッタストーンにちなん名付けられた)。 10,000 ノルウェースヴァールバル世界種子貯蔵庫プロジェクト寿命100,000上 オーストリアハルシュタット岩塩坑トランクルーム形式保存されている人類記憶(英語版)プロジェクト寿命。このプロジェクト粘土による石器情報保存する事を目的としている。 100万 オランダトゥウェンテ大学が現在進めているヒューマンドキュメントプロジェクトで計画されている期限10億 分子シャトルによる記憶期間の寿命分子シャトルナノ粒子カーボンナノチューブの中を分子移動する仕組み利用した技術で、カリフォルニア大学バークレー校によって開発された。 130億以上 サウサンプトン大学研究され5次元データーストレージ(英語版)の寿命5次元データーストレージはフェムト秒レーザーナノ構造体ガラス書き込む技術用いる。

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