技術の継承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 07:46 UTC 版)
錦帯橋は、創建時から現代までの修復記録が藩政の史料などでほぼ完全に残り、歴代の大工棟梁の人物名も全て分かっている。 記録によると、江戸期にはアーチ橋(第二、第三、第四橋)は約20年ごと、桁橋(第一、第五橋)は約40年ごとに架け替えられ、橋板や高欄は約15年ごとに取り替えられてきた。現代までに行われた架け替え工事の回数は、第一橋10回、第二橋14回、第三橋14回、第四橋16回、第五橋9回である。橋自体は50年以上持つにもかかわらずこうした手法が採られたのは、大工技術の継承の意味合いが大きかったと推測されている。 現存する絵図面は、2回目の架け替えとなる1699年(元禄12年)のものが最古。そのほかにも12枚が残る。これらの架け替え記録から、架け替えのたびに改良が加えられ、1796年(寛政8年)の改良で現在の形状が定まったことがわかっている。以後210年間、形状や意匠の変更はされていない。 平成の架け替えの際は、こうした古図をもとに当時の技術の再現をめざすため、設計や測量は全て尺貫法で行われた。釘もステンレス製などは一切使わず、手打ちしたたたら鉄の和釘が使われた。 江戸後期には架け替えに必要な用材を確保するため、計画的な植林がされていた記録が残っている。現代においても、岩国市は将来にわたって架け替え材の自給をめざす「錦帯橋用材備蓄林200年構想」を打ち出して植林活動を実施している。
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