誕生から徳川家仕官
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元亀2年(1571年)大和国柳生庄(現在の奈良市柳生町)に生まれる。父は柳生庄の領主で上泉信綱から新陰流の印可状を伝えられた剣術家でもある柳生宗厳(石舟斎)。母は奥原助豊の娘(於鍋、または春桃御前とも)。兄に厳勝、宗章等がおり、宗矩は兄達と共に父の下で兵法を学んだとされる。 若年時の行動は記録にないが、父の代に先祖代々の所領が没収されたために浪人となり、仕官の口を求めて 豊臣秀吉の小田原征伐で陣借りをしていたとする話が伝わっている。文禄3年(1594年)5月、京都郊外の紫竹村において、父・宗厳が黒田長政の仲介により徳川家康に招かれて無刀取りを披露した際に、父と共に家康に謁見し、父の推挙を受けて200石で家康に仕えることとなる。
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